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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
拓郎先生
2005年 07月 19日 |
もう11年前。
某大学生だった僕は、高知県の四万十川で夏休みの一人旅をしてた。

その頃僕の周りの風俗で言えば、野田トモスケさんは、もう一部の学生の間では大人気だったし、沢木耕太郎さんの”深夜特急”がそういうみんなのバイブルだった。1年間なんて平気で休学して、ゴーゴーアジアしちゃうタフな人たちが結構いた。僕はといえば、金もなかったんだけれど、要するに1年間休学するだけの度胸がなかった。

思うに、モノゴトって”やらない理由”は、いっぱいあるけど”やる理由”って1つだけか、せいぜい2つくらいしかない。憧れたんだけれど、何か食指がのびなかったんだよねゴーゴーアジアって。。

それで、テント背負ってチープな国内旅行してた。
そこではやっぱりカヌーが盛んだったんだけど、僕は当時写真部だったし何でも見ているほうが好きだったんで四万十川ユースホステルでは、ただ宿泊していただけだった。

拓郎先生には、そこで出会った。名前とか細かいことはもう忘れた。当時45歳くらいだ。
拓郎先生は、サラリーマンだった。先生は夏期休暇をとって同じ四国の中のどれかの県からマイカーで四万十川にやってきた。

ユースの宿泊客がみんなでさわやかカヌーに出かけると、先生も一緒についてゆき、ウイスキーボトルを持ち込んで、パドルを漕がずにたくさん飲んで酔っ払ってた。
先生、沈する(転覆する)と、そのカヌーは放っておいて、ボトルをしっかり握っていたなあ。
先生、カヌーの先生(ユースの支配人)にすごく怒られていたっけ。
宿のみんなで夜の懇親会のときも、僕と二人で遅くまでビールばっかり飲んで、ベランダから立小便したら、今度は宿泊客から怒られて、どきどきしたなあ。

夜も更けてきて、ますますヒートアップした僕たち。
拓郎先生は、吉田拓郎のカセットを車から持ってきて僕に聞かせてくれた。僕がギターを弾けるってしゃべっちゃったものだから、「是非君のギターの伴奏で歌いたい!」って言われて困ったこともあったなあ。だってスコア(ギター用の簡単な楽譜)がないと弾けないんだ。代わりにいちご白書を爪が割れるまで弾いて聞かせたら、”お前はいいやつだ”って言ってくれたっけ。

またまた夜も更けて、拓郎先生、自分の身の上話をしてくれたっけ。
ホントは関西の本社に勤務していたこと。
そこで部下の女性社員を孕ませてしまって、四国の支社に飛ばされたこと。
妻とは別居状態のこと。
後悔はしていないっていっていたこと。
”最近の(吉田)拓郎は駄目だ!”と言いながら、僕が”そうだ”と言うと逆ギレしたこと。

自分がやりたいと思ったことは、必ずやった人が拓郎先生だった。先生、まだ生きていると思うけど、先生の行動指針は僕の心の世界にひろがりと衝撃を与えた。
ゴーゴーアジアもよかったけれど、ゴーゴー拓郎先生が僕にはしっくりきた。

結局、拓郎先生とは3日間くらい一緒にいて、最後は四国半周のドライブに連れて行ってくれたなあ。香川のドライブインで、最後に二人でビール4本くらい飲んだけど、先生の運転が心配だったから僕が3本くらい飲んじゃったんだよなあ。あの時、僕は本当は自分の命が心配だったんだよなあ。

別れ際にくれた、吉田拓郎のカセット。”元気です”って言うタイトルだったかな。オリジナル編集だったのかな?
その中の1曲。”制服”っていう集団就職をテーマにした曲が、先生、”今までの人生で一番暗い歌なんだ”って言ってたけど、でも、、でも先生の人生も結構いけてるよ。

先生、僕は元気です。
吉田拓郎、弾けるようになりました。拓郎先生_e0029553_147454.jpg
by bigbirdman | 2005-07-19 01:53 | 小旅行 |