天職
2006年 12月 06日
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真心とは、時間を捧げること。
自分が・・・じゃなく、人から時間を捧げられたとき、自分の中に残るものが真心。
誰かが誰かに真心を捧げているのを見て、ココロが温かくなるのはシンパシー。
シンパシーは焚き火の温もり。
直接燃えているわけじゃないのに温かくなるもの。
シンパシーは悲しみが、知らないうちに知覚する。
悲しみは温度が低いから、シンパシーや真心で温められる。
温められた悲しみは、やがて動き出す。
朝の鳥が日の光で温められ、羽ばたきはじめるように。
充分温かい悲しみは、もはや悲しみではない。
そして充分温かい悲しみは、熱力学の法則で冷たいところへと流れはじめる。
自然に自然に。
そのとき自分は、人に時間を捧げている。
自然に自然に。
そのときの自分を外から見れば、真心を捧げているように見えるのかもしれない。
でも、自分で自分の真心は感じない。
それはあくまで人から受け取るものだから。
自分で自分の真心は感じない。感じなくていい。それはきっとニセ者だから(笑)。
人から捧げられた温かさを、そっと誰かに渡しているだけなんだから。
温かい悲しみを載せる、手のひらのようにささやかな器、天職。
自分が・・・じゃなく、人から時間を捧げられたとき、自分の中に残るものが真心。
誰かが誰かに真心を捧げているのを見て、ココロが温かくなるのはシンパシー。
シンパシーは焚き火の温もり。
直接燃えているわけじゃないのに温かくなるもの。
シンパシーは悲しみが、知らないうちに知覚する。
悲しみは温度が低いから、シンパシーや真心で温められる。
温められた悲しみは、やがて動き出す。
朝の鳥が日の光で温められ、羽ばたきはじめるように。
充分温かい悲しみは、もはや悲しみではない。
そして充分温かい悲しみは、熱力学の法則で冷たいところへと流れはじめる。
自然に自然に。
そのとき自分は、人に時間を捧げている。
自然に自然に。
そのときの自分を外から見れば、真心を捧げているように見えるのかもしれない。
でも、自分で自分の真心は感じない。
それはあくまで人から受け取るものだから。
自分で自分の真心は感じない。感じなくていい。それはきっとニセ者だから(笑)。
人から捧げられた温かさを、そっと誰かに渡しているだけなんだから。
温かい悲しみを載せる、手のひらのようにささやかな器、天職。
by bigbirdman
| 2006-12-06 18:34
| 独り言
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