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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
無題
2007年 05月 11日 |
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森をアップで撮ってみた。葉っぱが空に向かっていた。

地面から空に向かって、世界は開けている。
陰陽の概念では、地面は陽で空は陰になっている。
命は、陽から生まれて陰に向かってゆく。






高齢者の独居世帯では、意地のある人間が最後まで凛とした暮らしを送るんだそうです。
身の回りのことが出来なくなる現象にも、70歳で寝たきりになったり、90歳でもある程度のことは出来たりと、やっぱり個人差があるのだそうです。
自分が当然すべきことをしっかり理解されている人は、最低限自分がしなくちゃならないことのハードルが高いから、平凡な日常生活に充実したメリハリを持って、暮らしそのものが流れてゆく。
人は何か大きな衝撃を受けたり、過剰に孤独感やストレスを感じることで、ちょっとずつ精神が乱れて生活も乱れてくる。無意識のうちに病気になってくる。
僕にとって、常に安定した精神状態でいるなんて、どうすればいいのか到底理解できないくらいありえないことだし、はっきり言って、僕はいつも密かに何かにおびえたり、どちらかと言えば暗い方にだんだん惹かれてゆき、せっかくの快活の根を切り落とす方向へ向けて勝手にモノゴトを考えてしまう傾向がある。

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森の地べたを注目してしまうのは、僕が命の生まれる陽なるものに惹かれているのではなく、生活史が地表で完結している、小さな苔や昆虫達の暮らしを見ることで、いつか自分が死んでゆくそのときのイメージが欲しいからなのかも知れない。こういうこと考えるのは、未熟な証拠なんだけど・・・未熟だから良いんです。

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先週末は森に行った。
森に行き、それなりに明るく快活になって帰ってきて一週間経ち、そのときの経験を組み立てて、今のところ自分の命の問題(ちと大げさか?)に落ち着いている。こんな風に結局自分は自分のことしか考えられないから、いつも利己的な理屈で自分の経験を消化してゆく。そして、自分自身の考える種を増やしてゆく。これ自体には別に問題を感じてはいないけど。・・・いつものように何が言いたいのかよく分からなくなってきました(^^;。

多分、僕は我侭な年寄りになるだろう。
「家族の中の自分」という、ある意味、「意地」を大切にして暮らしを見つめるよりも、自分の感情を抑えることなく勝手にモノゴトを考えて生きてゆく方が好きだから、そんな年寄りの部屋は、散らかり放題で身の回りのこともアバウトになっちゃうだろう・・・。もしもよめさんが先に死んだら、要介護とかになって、きっと若いヘルパーさんの尻を見てばっかりいるエロ爺さんになるんだろうなぁ・・・。どっちにしろ、よめさんもなかなかのボケっぷりの片鱗があるから、ヘルパーさんの費用とかで二人とも個人年金が大切になってくるかな。っちゅーか、うちらは年金もらえるのかなぁ・・・などと不安の種は尽きないものです(^^;。

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ここ数年の間で、近所に介護の車がよく来るようになった。
ちょっと前まで元気に道路で挨拶をしていたおじいちゃん、おばあちゃん達が寝たきりになってゆく。独居世帯もあちこちだ。それが一般的になりつつある。「普通」という概念は、水のようにいつも動いている。
もう死んでしまった僕のおばあちゃんを思い出して感じることだけど、昔のお年寄りは、今よりもココロがカクシャクとしていた。全体(家族)の中の自分という関係性の中で、家族が互いに相手を支えることで成り立っている、家族生態系(笑)があったから。でも、僕んとこのような田舎でももうダメ。2世帯住宅とかでも、家を建てられるだけ幸せだけど、そういう家庭内での生態系に意識が向く前に、どこの家でもそういう異世代が向き合う状況を大抵拒絶している。僕のおかんも一人わが道を行く人だし。あぁ、でも、どっちがストレスになるかはケースバイケースか(^^;。

孤独でストレスを感じる。独語が多くなる。
そんな年配者の、関係性の無くなった精神が、ぼんやり宙に浮かんでいる。
そういうイメージを持って、僕は自分の町や近所の家を見ているときがある。っていうか、自分自身もそうだと感じるときがよくある。
森の暮らしは変わらない。だから、そんな風に自然と共通性を持てない、寂しい人間社会や精神を、いつも森は不思議そうに眺めているんだと思う。

どこから変わってゆけば良いのか、誰も分からないまま国会は何だかキナ臭い強行採決の連発に告ぐ連発で、もう新聞を読む気にもならない。(でも今の与党には、今までもこれからも何も期待していないので、次の選挙で自民党に絶対入れないことだけは決めている。)

本来ワイワイガヤガヤ、ときにストレスになってもぶつかり合ってゆく弾力性のある個人の精神が、孤独や寂しさがもたらす負の連鎖から、無関心や虚無的になってしおれて浮かんでいる。
森を見て思うことは多い。森を見て、これかな、ピッ!っと一瞬、まぁ独りよがりで僭越ながら、光明が見えたつもりになるんだけど、町で生活しているとだんだんドンヨリしてきてしまう。。
試しに書いてみたけれど、森の写真とこういう話題って、なんだかマッチしないようですな。
こういうときは、環境学習を子供たちとするに限るんだけど、仕事が忙しくてなかなか時間が作れない。

フィールドに出れば、すっかり元気になるんだけど・・・、今日は暗いなぁ(ニガ笑)。
by bigbirdman | 2007-05-11 22:37 | 独り言 |