フクロウくんのポンコツ的生活
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結局・・・
2007年 08月 08日 |
島の調査には出かけた。
ただし、台風の影響で島への上陸に難があったため、宿泊をしない日帰りの調査だった。
いつも10kgの水タンクやらテントなどで、かなりの荷を背負って上陸すぐの急勾配の登りが待ち構えているんだけど、今回はほぼ空身での登りで、感動的に楽だった。
こりゃ、写真もバンバン撮れるかなと思っていたけど、まだ新しいカメラなのでおっかなびっくり使っていたため、普段より写真は撮れなかったのが、自分らしい。

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フネからの写真も下手くそです・・・ごまかしのヘンテコフレームで。。


今年は、体調面で行けるかどうか怪しかったんだけど、何とか頑張って参加した。
これも大学時代の後輩が青森から強行軍で参加するという情報を得たからだった。
後輩が男を見せたのに、先輩が参加しないわけには行かないだろう。。ただ、やはり病み上がりの身には結構応えて、筋肉痛が3日くらい引かなかった。
年長者の方には恐縮ですが、やはり野外活動をするには年なのかも知れない。
アルコールパワーが入っていないことも原因するかとは思いますが、なんだか地面の上をフワフワ浮いているみたいで、足もとがおぼつかないというのはこのことなのかなと、今思う。

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急な斜面は急なのです


今年は、たった一日の調査で、しかも調査のボスが前日までにほとんどの調査区をやっつけてしまったあとなので、申し訳なくすぐに終了した。
ただ、この島の土壌の流出や、それに伴う植生の悪化は、歩いて見た範囲でも十分顕著であり(なんか硬い表現だ・・・)、現状のままでは繁殖個体数の維持が難しい状態であることは疑いの無い状態だった。

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株の根っこがモコッとしているのは、周辺の土壌が流れてしまっているから。この状態でオオミズナギドリ(今回は悪者)が根っこの直下の土壌を掻き出してしまうことで、上の植物が生活できなくなって、枯死する。そうすると裸地化が進んで、小さなウミツバメは巣を掘れなくなり、結果として繁殖個体数が減少してしまうんです。要するに、オオミズナギドリとウミツバメのせめぎあいがこの島では起こっていて、それをずっと調査しながら見続けているのです。

何だかんだ言っても、例年通り調査に参加できたことは大変有意義で、嬉しかったんだけれど、ここ数年の体力の低下が不安な中で、さらに今年の病気で余計怪しくなってきた。
いつまでも鳥に近いところで、新鮮な感動を!とは思っているけれど、普通の人よりも早く老化が始まっているみたいで、今年はおかしな調査年だなぁ。

体力が落ちた分、シンプルな経験しか出来なくなって来ると思うけれど、そこは有り余る想像力で(?)補って、楽しい人生にしたい。いつもながら大げさですが(笑)。


そういえば、今回の渡航の最中にハヤブサが現れた。
そのハヤブサは、島の岸壁に繁殖しているアマツバメの群れに突っ込んで行き、何度目かのアタックでアマツバメの背中の少し上をスッと飛び去った。

それから、数秒間、そのアマツバメは何も無かったように飛び続けていたんだけど、次の一瞬海に錐揉みで落ちていった。僕は、ぽかんと口が開いてしまった。どう見てもハヤブサの攻撃ミスにしか見えなかったのに、確実に足の爪がアマツバメの背中を掠っていたということだったんだろう・・・。

今思うと、あのアマツバメの数秒間の旋回飛行はこの世の最後のフライトだった。
痛みを我慢して飛び続けたアマツバメのラストフライトに思いを馳せると、生きていると言うことに共感する気持ちには、種族という分別に垣根は無く、それゆえ、あの最後の飛行に僕は、なんともいとおしいものを禁じえなかった。

何かが終わり、何かが始まる。
何かが崩れ、何かが構築される。

「遷移途中」という状態を、ひたすら繰り返していくだけのこの世の営みの中で、唯一生と死だけが、自分の意識の中で一つのピリオドを提供してくれるものなのかななどと、そう思う。


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生きていることを感じたり、反対に、直接関係無いよ!なんて、ある程度自分とは切り離して見ることが出来る死の劇場。そこから派生する生死のイメージは、間違いなくこの僕にいつかやってくるものとなんら違いは無い。僕が鳥の世界や、そこで起こる誕生や生活や死に対して関心が高いのは、その距離感が丁度心地よいからなんだ。

自分の父の死よりも悲しかった(と思っている)愛鳥の死が、今の自分を形成してくれている事実をバックボーンとして、今回のように、あまり普段行くことが出来ない鳥の繁殖地での調査が僕に与えてくれる新しい経験によって、自分がまた変化すること。
・・・一番率直に言えば、鳥の世界を通して感じる”死”の見学が、自分にとって一番説得力を持って、いつかやってくる自分や周りの人間の死に耐えられる精神性や世界観を与えてくれるんじゃないかという願望を満たしてくれる。そういう自分にとって大切な変化が、この逡巡や感性の延長上にあるはずなんだ。

どんなきっかけであっても、人にはそれぞれ今言ったことのような願望を満たすための興味や関心があるものだと思う。
自分にとってのそれが何であるかを分っていることで、人は誰かに優しくなれるだろうし、自分もそうありたいと思っている。
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by bigbirdman | 2007-08-08 22:20 | 小旅行 |