フクロウくんのポンコツ的生活
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コスモス(調和)の花畑 (新手の宗教ではありません・・・)
2007年 08月 17日 |
一年ぶりに、親友から手紙(残暑お見舞い)が届いた。

彼は以前、奄美で農業をやるという目標を持って南へ旅立っていった。
その彼は、その後も熟考を重ね、遷ろって、結局四国で農業研修施設のスタッフをしている。
彼は外国の人が好きみたいで、発展途上国の農業研修生に日本の農業を教えている。
僕と彼は、林学が専門なんだけど、二人ともそれ以外の分野に進んでいる。
まあ、農業と林業だったら繋がりを想像できるけれど、なかなかリンクし難いのは僕の方かもしれない(^^;。(ちなみにフクロウめは、分野で言えば福祉関係です)


直接たずさわる就職先が制限されているんで、林学の就職先は多様です。
「植生の多様性」なんて、林学の教科書によく出てきそうなのですが、そのまま就職するときは「職性の多様性」になります。・・・なんて、詰まんないこと言ったりして。。


彼の手紙には、「来春からアフリカに行って、林業の講師をします」と書いてあった。
予定ではあるけど、協力隊の隊員候補になれたみたいだ。
確か、3~4年前にも協力隊に応募して、そのときは残念ながら落ちてしまった。
そして、それに奮発した彼は、ほぼ無給に近い条件で、あるNPOのボランティアスタッフで一年間、やっぱりアフリカで林業のティーチングスタッフをした。
そして、農業を教えるという形を自分の得意分野にまで高めて、今回晴れて協力隊のスタッフ候補になれるくらいまでになったということだろう。


自分の望む方向を内省的にも行動的にも実践してきた、その数年間の人生が確実に実を結びつつある今の状態を、彼は今どう捉えているんだろう。彼は、僕がやりたくても出来なかった、常に妥協を避け、孤独で一人、黙考を重ねる時間を生きてきた。
多分、今もそうなんじゃないか。


僕と彼は、歩いている道は違うし、多分同じものを見ても考え方が違う。
だけど、譲れないものがかかった時の迷い方がよく似ている。
決めるのに時間がかかる。往生際が悪い。みっともない。
・・・これ以上書くと僕は悲しくなって、彼は怒り出すだろうから、書かない。


ただ、うまく表現できるか自信が無いけど、なんちゅうかこう、ある意味上手なんだ。
自分の中で大切にしている何かは、生きてゆくとどこかの時点で、思い切って切り捨てなければ前に進めないことが、ごくたまにある。で、そのときに捨てないで済むやり方を見つけるのが上手なんだ。

例えば僕は、仕事や自然観察を通して、人のココロが進んでゆく場所や還ってゆく場所に、独りよがりであれ、何となく関心を持ち続けている。だから、人相手の仕事上では、どうしても機械的に人を振り分けたり、”取り扱う”という表現をしなくてはならないほどの忙しさを前にすると、そのときは何とかこなしても、後から悩んでしまう。・・・っちゅうか、ぜんっぜんこなせていないのです(汗)。
まぁ悩むことが、自分を保つ方法なんでしょうね・・・(クッ)。

一方彼は、農林業を教えるという立場に就いて、たくさんの文化的な背景のある人々を前に、多くの失敗や、笑いなどを通して、彼らの身やココロが帰ってゆく国を豊かにさせようと努力することを通じて、結局は僕が関心を持っているのと同じものを見ているんじゃないかな。などと、最近は、そう思えるようになってきたのです。

職業や趣味は面白い。違うことをしているもの同士でも、それぞれが真剣に取り組んでいれば、芯の部分で共鳴する音色を感じることが出来るようになるから。
ただ、それが深さなのか、直感なのか、思い上がりなのか(ビンゴかもしれない・・・)。
その辺は分らないけど、過去よりも年齢を重ねるということには、ある方向に収束してゆくイメージが付きまとう。


でも、良いことばかりじゃない。
農業をやろうとして諦めたときは、彼が結婚しようと思っていた女性とも別れてまでのことだった。そういう思いをしたり相手にさせてまで、今の方向に進むべきだったのか。それは、過去には戻れないんだから、考えてもナンセンスか。でも、本気で悩んだ結果として、推進力になる別れはある。

要するに、ブログで書くことじゃないけど、見方によっては彼の不器用さからくるつらさや情けなさを、強がりで蓋をしてまた一歩進んでゆくのだから、そういう強引な面が持つ悲しさも感じているのかなって、ちょっと気になる老婆心な親友フクロウなのでした。

※なんだか僕のブログは、書けば書くほど友達が減ってゆきそうです・・・。

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コスモスの花畑 ~何かと何かの間で~


カオスがコスモスに変わって 少し自分が変わる
思考には本来欠陥が在る と言うことを自覚しておく


カオスをカオスだと認識・表現できるのは思考による

カオスはカオスだと気付かれると 途端におとなしくなりコスモスに変わる

でもコスモスを組み合わせても 自分の居場所は見つからない

コスモスの花畑は 種をまく大地を常に探している


コスモスのために探すこと 不思議(カオス)の大地を常に探すこと
そこへこぼれ落ちる歪(いびつ)な種に 新しい命が宿ってゆくのだから

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by bigbirdman | 2007-08-17 00:41 | 独り言 |