フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
明け方ハードレイン
2007年 08月 28日 |
明け方の土砂降り雨は、その雨音が屋根に当たる音でゆっくり眠れる。
今朝は、とても激しい雨で、家の脇の排水路を路面の雨が流れ込む音まで、はっきり聞こえてきた。
でも、それもつかの間、1分後くらいにはまた眠っていた。
自然が作り出す音は、考えることをストップさせる力がある。
川の濁流、滝の音。轟々と響く風の音もそう。

今をしのぐっていうのは、つらい時期を過ごすことでもあるんだけど、すること自体はシンプルな場合が結構ある。山でテントを張っていて、突然の台風(っていうか知っていたけど甘く見ていた)が襲ってきたとき、林の中に補強のロープを張って、テントの周りにテントに水が入らないように、排水のための溝を掘ったことがあった。学生時代に使っていたテントが、だんだん防水が落ちてきて、水が染みてくる。あまり干していないテントは、少しすえた臭いがして、まるで自分が穴倉の住人になったような錯覚を覚えた。そして、ただ、テントにあたる雨の音や林の木と木がゴツ・・とか、バキッとぶつかり合う音を聞いていた。

それ自体は、本当にシンプルなことだった。ヘッドランプでテントの屋根を見上げて、ボーっと何も考えずにいただけだったから。

圧倒的な、明らかに自分には抗いようも無い出来事に出くわしたとき、不思議と落ち着いていることがある。それが何でなのかはよく分からない。
ただ、自分で何とか解決しようとか、自分が頑張ってこの苦境を乗り切ろうとか(同じか・・)、そういうことを考えているときに、例えば自分が病気で余命幾ばくも無いという事実が明らかになると、ビックリすると同時にふと落ち着いている。そんな不思議な状態になることがあるんじゃないか。そう思う。

人は少しずつおかしくなってゆくことがある生きものだけど、それは今の苦しさが永久に続くんじゃないかって、思い込んでしまうことが原因になることがある。具体的には書けないんだけど、ニュースとかを見ていて思うのは、介護の苦しさや、家族との離別のショックから、精神に異常をきたして社会的にうまくフィットできない状態になるときは、多かれ少なかれ、今の苦しさを何に置換すればいいのか分らない、考えられない状態に陥っているんだと思う。

何かひとつのきっかけが、トータルで自分を救ってくれることはほとんど無いんだけれど、圧倒的な天気の力や地球の運動をあからさまに目にすることで、大きくなり過ぎてしまった自意識が小さなものに思えてくる。自分の夢や将来の希望が、もし適わないとしても、それは適ったときと比べて、それほど大きな違いがあるものではない。それが癒しに属するのか、あきらめに属するのか分らない。でも、ちょっとの過ぎたる虚栄心が自分を苦しめたり、本当はどう思っているのかを曇らせたりする。

明け方ハードレイン、トタン屋根に当たる音。
この雨が降っている間は、僕は何も考えなくてもいい。
いつもそう思っている。


e0029553_102299.jpg


とは言うものの、出勤する頃にはすっかり小雨になっていた。。
[PR]
by bigbirdman | 2007-08-28 00:42 | 生活の中で |