フクロウくんのポンコツ的生活
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星野道夫著作集
2009年 01月 09日 |
タイトルは、全5巻のA5サイズ、300~400ページくらいの奇麗な装丁本。
これを、読んだら一巻ずつ買い足して読もうと思っているのに、もう3・4年経つけど、2巻と3巻だけ買って、そこから読書が進まない。。
最初に1巻を買わなかったのは、最初に手を伸ばした本屋さんに2巻しか置いていなかったから。・・・単純な理由ですが。

この著作集は、数ある星野さんのエッセイや紀行文などから、ダイジェスト的にピックアップして、全体が構成されている。星野さんの本は、単行本で数冊持っているので、この著作集に掲載されている文章は、6・7割はもう読んでいる。そして、単行本の方が写真入りで出来が良い。
でもね、ここ何週間か、買っておいて手を伸ばしていなかった著作集第3巻を読み始めて、写真の無い星野さんの本の世界を感じているのだけれど、一度読んだから覚えてるヤイ!と粋がっていたのに、意外と細部の描写をキレイに忘れていることに気がついた。
そして、写真の無い文章のみの構成が却って新鮮で、うろ覚えになっている単行本の写真風景なんかもボンヤリと浮かびつつ、星野さんが言葉を尽くして表現しようとしたことがらにも気付くことが出来たりして、ああそうだったのか・・・なんて自分なりに思うこともあり、しみじみした。

文章のみで構成される星野さんの文章は、静謐(せいひつ)が漂っていると思った。
大地とそこに吹く風の音しか聞こえてこない。そしてその隙間からは、著者自身の感慨や世界観がただ淡々と語られている。

生きていることの不思議さや、時には上気して熱くなった出来事でさえ、どういう訳だか、星野さんの文章からは、静謐が立ち上がっていた。
生きものを見つめるということは、無常であることとか巡ることの、中心に有るものや、先にあるものに思いを馳せる作業だと思う。そして、それが自分の身近な生活に共感の芽を持つくらいまで(つまり星野さんくらいまで)発酵してくると、生活の意味や自分にとっての価値が次元上昇することが往々にして起こるんだと思う。

だから、星野さんは急逝されたなんて、言わない。
残された息子さんや奥さんの気持ちを思えばなおさら、こんな推察はバカで野暮なヤツの言い分だとしか思えない。

ただ。
一つのことを見つめてきた者が、急に現世から消失してしまうことには、何かしら原因とか理由が有るような気がする。
後を追う誰かが、先人の表現されたものを共有することで、深く共有することで、それが追うという行為から逸脱してしまう。そういうことに繋がる気付きをやり取りする力が、人間には備わっているような気がする。見たから、感じたから消えてしまった・・・そんなオカルトなんかとは違う。消えるなんて、それはあくまで僕個人の、死への恐怖の裏返しに過ぎないと思うから。

・・・だけど、人との付き合いの距離や、見方が深まってくると、生きていても死んでいなくなっても、自分が同じような存在として、ずっと家族や誰かの近くにいることと同義になる地点があるような気もする。そういうスタンスに立った人間の静謐さを、この著作集に感じている。

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そして、この本に登場する星野さんを取り巻く人たちが、星野さんを星野さんたらしめたことを感じるにつけ、人の経験や出会いの不思議さに思いを馳せる。
そして、僕も静かに、生きていることのワクワク感を享受している。
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