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フクロウくんのポンコツ的生活
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2005年 08月 31日 |
すいません、昔話です。。

ギターをはじめて買ったのは、まだ東京にいた19歳の頃。
そのお店は、今は少しは有名になった節約食生活の魚柄仁之助さんがやっていた骨董品屋さんだった。値段は、たったの3000円。
メーカーはYAMAKIって書いてあったのを、僕が勝手にヤマハだと勘違いしたのが、今でもおかしい。
仁之助さんのお店は、平屋の古い民家で、まさにところ狭しとチマチマした雑貨が置いてあって、部屋の奥まではぜーったい陽が差さないような、まさに節約家に相応しい、いい雰囲気なお店だった(外国人のガールフレンドらしき人もいたなぁ、こういうこと書いちゃいけないのかな??)。

最初に覚えた曲は、チューリップの”心の旅”だった。
なんでギターなんか買ったのか忘れちゃったけど、それまで、歌なんてろくに歌ったこと無かったから、全然声が出なくって、東京の狭いアパートで母親に聞かれるのが恥ずかしくって、小声で歌っていた(^^;。

次に覚えたのは、井上陽水の、、何だっけ。あ、”心もよう”だった。
全然声が出なかった。ははは。

ギター覚えといてよかったなって思ったのは、大学に行ってからで一ヶ月9,000円のアパートに住んでいたときに、9畳間に10人も集まってみんなで、酒飲みながら歌声酒場の真似をやってたときだなー。今思い出しても元気が出てくる。。
で、みんな酒を飲んでるから、下手なんだよねー最高に!
しまいには近所の下宿屋の親父さんがお酒を持って合流したりしたこともあった。

サザンにみんなで盛り上がり、中島美幸に涙した。玉置浩二の”メロディ”に、いつかは僕たちも今日のことを思い出すのかなって思って、吉田拓郎の”暑中見舞い”に、彼女を連れて海に行くんだ!と興奮したりした。

でも、最近はこういう場が過去の出来事じゃなくなっているから、おかしい。
よめさんがここの人なんで、当然友達がいっぱいいて、その人たちと一緒に飲むことがあるんだけど、その時にフクロウくんのギターが役立ってる。
恥ずかしがって”えー、私歌うの下手だからー”なんて言ってるボニータ(友達)を、無理やりソロで歌わせるのが最近の楽しみなんです。
結構歌ってくれるから、嬉しい限りです(^^)。

なんて言えばいいんだろ?
30歳近い人たちが集まると楽しいですね。
みんなそれぞれに何かがあるから、分かり合えちゃうんですね。
それで歌を歌うから、盛り上がらないわけが無い!
こういう雰囲気を、50歳になっても、できれば60歳になっても、持ち続けて生活したいな。
ホントにそう思う。

冒頭のギターは、今はもう無いです。
大学のサークル(野鳥の会)の後輩にあげちゃったから。
その後の飲み会で、誰かが酔っ払って弾いていたら壊れちゃったらしい。。

上手な弾き手には縁が無かったギター君だったけど、今回のブログに載ったからこれで成仏したってことで(^^;。

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3代目のメインギターをつとめる”タカミネ”くんです!
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IF
2005年 08月 31日 |
もしも、大金があったとしても、死に行く命はお金では救えないこと。
もしも、路上で車に引かれた猫がいたとしても、その命を代わってあげることはできないこと。
そして、その猫がかわいそうだからといって、車社会を人類は放棄しないこと。

この間、子供たちが群がってみていたものは、まだ小さな子猫の死体だった。
”かわいそー”、”ホントに死んでるのかな?”
そのくらい、あっさりした亡骸だった。

でも僕にも覚えがある。
こうやって、死ぬことについて感じていったことを。
今まで生きていたものが、死というものをきっかけに自分の生活の中から、消えてゆく。
(対極の)生とも違う、(心の反応としての)衝撃(ショック)とも違う、(現実の受け止め方としての)喪失感とも違う。死とはただ目の前で起こること、それにはなんと言う言葉でも表しきれない。

そういう感覚だったのを覚えている。

どんなものであれ、その死の感覚は常にそれそのものだったのかなって、最近は思う。
何かの死(そして消えてゆくこと)は全てに新しく、”経験しているから・・・”という感情を受け付けない。

それは、とりもなおさず自分が常に変化しているからなのかなと思う。

もしも、時間が戻れるとしても、今を放棄してしまえるくらい後ろ向きにはなれないこと。
いつも明日があるから、今を大切にしているということ。

こんな簡単なことをよく忘れてしまう。
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2005年 08月 30日 |
近所のスーパーでチカ(海のワカサギ)が安かったんで買ってきた。
てんぷらにしたら、おいしいかなと思ったのに。
コロモが厚すぎて、焼き上がりを見たら身が半生だった。
悲しい。

なんで素揚げにしなかったんだ!
バカバカバカ


(多分、料理をする人にとっては常識なんでしょうね・・・。)

明日、近所の野良猫の餌だなこりゃ。
あー食材を無駄にするのって、心から疲れる。。
がっかりしすぎて作り直す気力が無いのです。。
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この間捕ったハモの写真。
おいしかったな。
この魚、もしかしたらアナゴか?論議が内輪で起こっておるのです。
でも、もう食っちゃったしなー。
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2005年 08月 29日 |

仕事帰りにバスを待つ。

夜になるとどこからとも無く漂ってくる道端の草の匂い。
あれはどうして甘い匂いがするんだろう?

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2005年 08月 28日 |
今日の夕焼け

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もうすぐ秋だなー。
枯葉が散って、ギルバートオサリバンが聴きたくなってくる。
毎年、秋の一時期に聴きたくなるのが、
alone again なんです。
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2005年 08月 27日 |
いつもの仕掛けで、魚が採れたー!

今日のはデカイ!

BIG FISH ON!!!
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ハモです。
骨切りが大変そう。。
ワーすごい。リ○ルゴールドがあんなに小さいやぁ、ただでさえ小さいのに。ははは。
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2005年 08月 26日 |
お熱いのがお好き?

珈琲っていろんな生活シーンや、映画やドラマ、小説でもよく出てくる飲み物だ。
アメリカのドラマとかでも、食卓に上がっているあのでっかいマグカップ。あれには絶対に熱くて味の薄い、まるで麦茶かと思うようなアメリカンコーヒーが並々と注がれているはずだ。

ああいった風景は、くやしいけどやっぱり絵的には十分かっこいい。あんな食卓で、アメリカンジョークをかまし合いながらクールに会話しちゃったりしたいですよね。


アメリカンコーヒーの功罪

マニア1で、珈琲の焙煎に関してはつらつらと述べたところでありまーす。アメリカンコーヒーっていうのは、あくまで焙煎の度合いのことであって、決して”アメリカン”という豆の種類があるのではないのであしからず。

で、一般的にアメリカンコーヒーっていうのは、浅炒り焙煎の豆で、抽出も豆の量に対してドバーってお湯を注ぎ過ぎた、いわゆる淹れすぎの伸びきったような味になってる。この点で自分としては、焙煎が浅炒りなのはいいんだけど、抽出しすぎなのが駄目だと思う。間違ったアメリカンコーヒー。だから、良いアメリカンコーヒーは、焙煎が浅炒りで抽出量が適当なもののことだと思う。くどくなってきたけど、アメリカンコーヒーは、薄い珈琲じゃない。あくまで焙煎が浅炒りのものを普通の珈琲と同じように抽出したものじゃなくちゃいけない!これ、ただのこだわりなんだけど。。

だから、大手のメーカーとかで”アメリカーン♪”なんていって、単に焙煎機のガス代ケチっただけのような、いい加減な浅炒りのエグエグ珈琲(エグ味がいっぱいという意味です)で、さらに大量にドリップしたのを見ると、なんとも言えなくなってしまう。僕も良い人ぶって”アメリカーン♪”なんて、言っちゃうかも。

珈琲を飲んで、おなかを痛くしちゃう友人が結構いるんだけど、そういう人は大体、珈琲があんまり得意じゃないゆえに、珈琲を飲む時に薄く淹れすぎちゃうのが原因。あくまで豆の分量に対して、決まった量しか抽出しないようにして、どうしても濃いなって思った時は、お湯を足して飲む方がまだマシだと思う。
珈琲は、もともと豆の中に有害なアルカロイドやタンニンを含んでいるので、抽出しすぎるとそれがカップの中に落ちてしまう。逆に言えば、上手に抽出するということは、それらの物質がドリップされないようにすること。有害で珈琲をまずくしてしまう物質は、分子が大きいらしい。だから、ペーパードリップでも、フィルターを重ねるとか、落とすお湯をゆーっくり細ーくすると全然味が違っておいしくなる。

(ちなみに僕は、豆を一人前当り15グラム使って、落とす量は80~100ccくらい。フィルターは、ネルっていう布でできたものを使っています)

というわけで、ちまたのアメリカンコーヒーは、名前に反して体にヘビーなものなのです。


ローストあれこれ

珈琲は、焙煎が進んでゆく順番に、シナモンロースト(~ローストは以下省略)-アメリカン-ミディアム-ハイ-シティー-フルシティー-フレンチ-イタリアンという感じで、呼び方が変わってくる。一般的には、アイスコーヒーとか、エスプレッソなんかには、深い焙煎をほどこした豆を使って、アメリカンに使うような豆は浅炒りにする。
”生豆の蒸らし~炒り終わり”までの間の豆の変化を、マニア1では水分の抜け方に内容を絞りつつ書いてみましたが、本当はこっちが書きたかったんです。それは、生豆自体の味の変化。

次、行ってみよー次どーぞ!タータタラター♪(ドリフ風に)


生豆の移ろい

豆の中に含まれる味を作り出す要素。それを便宜的に”アジオくん”と呼ぶことにする(・・いつもすみません)。アジオくんは、焙煎が進むにつれて、以下のとおりに変化する(イメージ)。

エグ味→酸味→甘み

これが、基本。このイメージと平行して焙煎の度合いが味を作る目安になるんだけど、それが豆の原産国(種類)やその年のでき具合によって色々なので、一概には言えない。けど、

1回目のハゼ→2回目のハゼ→フレンチロースト
     エグ味→      酸味→      甘み

注)2回目のハゼのことは、今回初出場でした。マニア1の焙煎の説明で1回目のハゼのことは言いましたが、次に時間で15分~20分の間に、今度は外皮がハゼます。そのことを2回目のハゼといっています。。

って感じかなぁ?ちょっとあいまいだけど、こんな感じでアジオくんと焙煎の度合いは進んでゆく。珈琲の特徴的な味に、あのコクとか苦味があるんだけど、その味は焙煎の度合いに規定される。正確には、苦味のみが焙煎の度合いに規定されて、コクはその苦味とアジオくんの甘みのハーモニーが規定する。

(焙煎段階)  一回目のハゼ→2回目のハゼ→せいぜいフレンチロースト
(アジオくん)      エグ味→    酸味  →      甘み
(苦味)         無し  → 弱       →      強 
(コク)                           Good

こんな感じかと。。(だんだん野暮ったくなってきちゃいましたが、もう止まれません。思いが強すぎて駄目なんです。)
アジオくんの出し方で、ポイントをはずしてはいけないことは、焙煎を浅くし過ぎたせいでエグ味を出してしまわないようにするということ。焙煎未了っていうんだけど、特に浅炒りをする時に注意しなくちゃいけない。

上の表にあるように(なんかカッコイイ!)、酸味のテイストで焙煎しようとすると、焙煎中のイメージ上、エグ味とのタタカイにどうしてもなってくる。達人になってくると多分、匂いとか色でわかるようになるんだと思うけど、僕はまだまだそのレベルにいってないので、浅炒りは滅多にしない。逃げるのね、そこんとこ(マギー四郎風)。
だから、甘みと酸味のハーモニーを作る時は、”ここがベストだろ、コンニャロ!”って感じて、焙煎を完了させる。でも飲んでみると、”酸っぱくってエグイー”っていうことが多くなっちゃう。(そして、うじうじ悩みだす)


浅炒りが似合う豆とは

ズバリ、アジオくんのポテンシャルが低い豆です。低アジオくんというのは、味のタイプ(上の表)で、甘みまで到達するのに、焙煎段階が例えば2回目のハゼまでかからない(もたない)豆のこと。

例えば、中米の高地産の豆(キューバ)とか、ハワイコナも中米産じゃないけど高地産で、低アジオくん。こういった豆は、もし深炒りにしてもアジオくんがあっさり酸味をすっ飛ばして、甘みもすっ飛ばして、スカスカな苦いだけの珈琲になってしまう(”今の僕の技量では”、ということも付け加えます)。だから、こういった豆は浅炒りで、酸味と甘みの折衷点で焙煎するのが僕は一番好きだ。でも、浅炒りは滅多にしない。逃げるのよね、そこらへんで。

浅炒りで何故か有名な豆の種類は、キリマンジャロ。だけどあれは僕の感じだと、アジオが(あ、呼び捨てちゃった)かなり強いから、むしろ深炒りにして、コクと酸味の楽しい味を作り出した方がいいと思ってるし、実際そうやって焙煎することのほうが多い。キリマンジャロは、アフリカのタンザニア産の豆なんだけど、同じくアフリカ産のケニアなんかもアジオがすごく強くて、いい豆だなーって思う。

太陽と土の味!これに尽きます。

珈琲豆のアジオくんの度合いは、実は太陽と土に規定されるんだ。原産国が違えば、当然土が違うから、味が変わってくる。
例えば、有名な豆でモカっていうのがある。モカには2種類あって、イエメンという国で採れたモカは、モカ・マタリ(あるいは、イエメン・マタリ)、エチオピアで採れたモカはモカ・ハラー(エチオピア・ハラー)というんだけど、この2国は海を挟んで向かい合っている。
ほぼ同一エリアで採れるのでモカというくくりではひとつにされているんだけど、飲んでみると味がね、違う。これは、豆の栽培上の管理技術の問題(つまり、栽培に金をかけているかどうかということ、エチオピアは貧しい)もあるんだけど、僕はやっぱり土が違うから味が違うんだと思ってる。

どっちも甲乙つけがたい、独特なアジオだから大好きだ。


明日のためにまとめに入る

さて、紙面が尽きてきましたので(嘘ですが)、ここで3回目のまとめです。
珈琲は、発生初期はイスラム圏で薬扱いされていた。それは、多分大地の味をその中に有しているからだと思う。珈琲に関して、味を作ることは、実にクリエイティブな作業で、ご多分に漏れず自己内燃的だ。
この大地の味を表現するという意味では、農業と農産物がまさにそういう関係にある食べ物だが、これからの時代、ますます土地の味というものに、注意が集まってゆくようになると思う。だからこそ、こういうマニアックなマイブームを持ち続けてゆきたい。今までの記事で、どうやればこういうまとめになるのか不思議な点もありますが、3回記事にしてそう思いますです。

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ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。以下はおまけです。

長い文章は、読んでくださる方のことを考えると、小刻みにして出していった方がいいと常に思っています。何よりも僕自身が疲れてきて駄目なんです。でも書きたいと思った時に書ききってしまわないと、明日は明日の自分がいてしまうので、いけない場合もあるかなと思い、今回は長くしました。この程度だったら、大丈夫、長くないよと優しいお言葉をかけてくださる方がほとんどだと思うので、ホントはあんまり気にしていません。これも金曜日がなせる業でしょう。

ブログをはじめてまだ一月と少しですが、思いついたことを色々書いてきました。それで思うのは、ブログは生活にベクトルを与える道具だということ。書くことで放射状だった自分の好奇心が、大きな意味での自分の嗜好の下に、ある程度のまとまりが、実はあったのかなという自分なりの気付きがありました。あ、でも無いかもしれません。わかりませんが。これからもよろしくお願いします。
ちょっとハイペースでやってきたんで、しばらくはスローであったり、短い内容のものをメインでやっていこうと思います。スローライフが流行っているようなので。
あ、でも分かりません。毎日更新するかもしれません。

でも、がっかりしたんです。8月18日に今月の連続更新が途切れてしまったこと。8月にはいってせっかく毎日更新を目指していたのに。
そのあと、いくら躍起になって記事を書いても18日が青い色に変わることは無かったのです。
あーあ、ま、しょうがねいですね。

結構こういう、さも無いことを気にしてしまうフクロウなのです。

おわり。しょぼい終り方だぁ!

でも珈琲マニアは、まだまだネタがあるので続きます。
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2005年 08月 25日 |
なーがいっきっす・・♪
今日は、珈琲なのでこれは無しでした、すいません。
ということで勝手に盛り上がっている珈琲マニアの続編です。

僕の好きなこだわり方ということで

珈琲好きな親父がやってる喫茶店って、いいものだ。
みんな自分が”これこそ正統派だ!”、”おいどんこそ元祖でごわす!”、その他色々と思いながらやっていて、ただのお客さんとしては、”みんな熱い(暑い?、、すいません)人たちばかりで楽しいな”の一言に尽きる。
喫茶店の魅力というくくりにしちゃうと、広くなりすぎるので今回は珈琲の味に関するこだわりで、僕はこういうのが好きだなーとか、こういうのは嫌だねっていう勝手な独り言です。

珈琲の出し方は、自分で豆を焙煎する自家焙煎と、大手の”うーん・・”っていう業者や、小規模であってもこだわりのある”おーやるー♪”っていう、いずれも焙煎豆販売業者から豆を買って提供するものの2通りがある。

僕は、自家焙煎をやっている人の店の方が深い話ができるので好きなんだけど、業者から購入している豆でも、結構侮れない場合があるから、嬉しい驚きだ・・。で、そういう豆を使っているお店の主人は、焼かなくても豆の事を結構分かっていると思う。

焙煎者としての資質

各県に最低一人くらいは上手な焙煎をされる方が、今はいると思う。
でも同じ焙煎者同士でも、珈琲の抽出のノウハウがゼロだったり、相手の言い分に傾聴できない、”ただ我が道を行くタイプ”の人は、僕も会ったことがあるけど、はっきりいってまずい珈琲だった。珈琲は、たかが飲み物なんだけど、焼き手の精神性(って言うと大げさでした、焼き手の熱心さかな?)がくっきりと出てしまう面白い飲み物なんだ。

だから、その本当に熱心な人と、そうでない人がそれぞれ自分の焙煎失敗した豆を見たとして、片方は”あそこのタイミングが早くて、火力についてこれなかったから、ここの焦げ目が強調されてしまったのか!?”と思うけど、もう一方は”これもひとつの珈琲の面白さだな、OKだ!”って、感じる。どっちもそれっぽいけど、僕は大違いだって思う。こういう職人的な面白さって、燃える気持ちをずっと抱き続けられる自己内燃的な要素がすごく大きな差にひろがってゆくから。珈琲の自己内燃的な人たちから集めた、珈琲職人になるきっかけだけを教えてもらった言葉を綴った本。もしあったとしたら、きっと良い本になると思う。

飲み手というのは、期待する生き物だから、そういうマスターの性質を一発で見抜く。
マスターが焙煎に対して、かいた汗の量は匂わなくてもすぐに分かる。分かるからこそ厳しいことも時には言うし。
だから、珈琲はすばらしいと思う。職人的でいて、実際は人と人とが関わりあって作り上げる世界。厳しいお客が、良いマスター(焙煎者)と知らず知らずにタッグを組んで、ミックスアップできる。僕もそういうお客の一人でありたい!!

いけてるマスター論

全然違うタイプのマスターが、よーく感じると同じベクトルだったりする。バリバリ硬派(死語)の職人マスターが、マイルド派で鳴らすジェントルマスターに、全然違うタイプなのにライバル意識を持っていて、火花を散らしている。そうありながら、5年経ってふと気がつくと、味に対する理解の仕方が似てきたりして。そういうステージに上がっている二人を僕は知っている。心から敬愛し、尊敬しているんだ。そういう二人が反発しあう要素って、単純に年齢差的なものだけだったように思える。珈琲が好きな気持ちは同じだから。

片方は、若くて腕も確かな職人。もう一方は、年配で人生経験豊富(何と、軽くて実の無い表現・・)な職人。この二人があるとき同じ街に店を構えて、それぞれの時間を経て意識しあいながらも似てくる事が、僕には純粋に感動だった。その両方のお店で僕はアルバイトとして労働して、いろいろなことを教えられ感じた。両方の気持ちを理解しようとして、両方を裏切ったりもした。僕のひとつの時代は、この中に間違いなく存在した。まあ、今、僕のことはいいんだけど(^^;)。
いけてるマスターはこだわり職人で、みんなそれぞれ抱えているような心のいびつな味を珈琲っていうキャンバスに描いていた。

人の生きてる時間って、本気で没頭すると、そう色々なものに手が出せるわけが無いから、ある程度の年齢になったときに今の自分の中にあるものから”・・・これで行こう!”って決めるんだと思う。せつなくて、美しいなって思う。時間が有限なことを感じて変身しなくちゃならないから。

個人的になんかもうこれ以上、言葉が出ないかな(^^;)。
間違いなくいけてるマスター二人です。

ぜんぜん”味に関するこだわり”にまとまらなかったので、続きは次回ということで。
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2005年 08月 24日 |
最近、虫の声とか秋の気配がしてきたら

やっぱり、よく眠れるようになった。

秋はいいですね。

食べ物もおいしいし。

秋は、渡り鳥の調査のシーズンなんです。

もう少し先だけれど、朝4時30分に起きる、地獄の調査ロードがやってくる。

慢性寝不足シーズンの到来でもあります。

だから、いまのうち寝溜めしておこうっと。

おやすみなさい・・zzz。

何か写真あるかな?

これだ・・。

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一足お先に、秋のススキ。去年のやつ。
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2005年 08月 23日 |
今日、夕方ローソンに行ったら、店の入り口の前で
カブトムシが落ちていた。

死んでんのかな、と思って取り上げてみたら
右の前足がゆがんでいたけど、元気だった。

体中にくもの巣が付いていたから、ほろってあげて
すぐ近くにあった電柱にへばりつけた。

片足が不自由なのにクイクイ上っていって
あっという間に手の届かないところに行ってしまった。

さすがだなー、って思った。

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今年初の、野生のカブトムシとの出会い。
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