フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
<   2006年 04月 ( 33 )   > この月の画像一覧
|
|
2006年 04月 30日 |
今日は、3年に一度のお祭りだった。
地元のお祭り。母が育った集落のお祭りだ。
よく晴れた一日。
e0029553_0314759.jpg

昔の大名行列のお祭り。
この写真のどこかに、鬼平がいます(嘘)。
ほんとによく晴れた。
この行列(お祭り)の見せ場は、目的地に到着してからなんだ。
e0029553_1552623.jpg

部落ごとに、昔から見世物が決まっていて、その世代世代の顔たちが、地元の大人子供が、一緒になって、踊る。笑う。
e0029553_1525274.jpg


囃子の声。太鼓の音。
e0029553_0361420.jpg

e0029553_0364221.jpg

e0029553_037188.jpg


地域の人気者に飛び交う歓声。
「おらー、もっと旗を廻せーー!」(ドッと沸くみんな)

僕は、こういう雰囲気に弱い。
ただいるだけなんだけど、目頭が熱くなってくるんだよねぇ。

こういう小さな集落のお祭りなんだけど、ココロが通ってる。
盛岡のさんさ踊りも好きなんだけど、こういうあまり知られていないお祭りこそ、ずっと変わらない、飾らない味があるんだ。

母も今回は見に来たけど、自分が子供の頃に見てたときと演目が変わらないから、舞台に出てくる集落の順番を何も見なくても大体分かってしまう。びっくりしたのは、踊っている人(お面を被っている!)を見て、「これはドコドコのダレダレさんだよ」って憶えていることだった。

e0029553_0472397.jpg

お祭りっちゅーのは、見ている人も参加している人も、年をとってゆく。
総体で見れば、入れ替わり立ち代りひとが循環しているけど。

すぐ近くにいたおばあちゃんとかは、神輿が来ると手を合わせていた。
・・・祈りだ。
この集落が、みんな元気で過ごせますよう。
この町が健やかでありますよう。
なんかそんな感じの祈りじゃないかなって思った。

e0029553_2272129.jpg

根無し草の僕には、結論としてうらやましく思えた。
だって、この祭りに参加している人たちは、みんな子供の頃からの仲間たちなんだ。

一緒に年をとって、一緒に・・・。

・・・僕には、無い感覚なんだ。
職場でも、地元出身者がほとんどだから、
「フクロウくん、どうして東京からこんな田舎にきたんだよー?」
って、最初の頃は、よく聞かれた。
「いえ・・・、魔が差したんです(^^;。」
なんて冗談言ったりしてたんだけど、僕はこの地域の繋がりというのを今回目の当たりにして、うらやましく感じたんだ。そして、正直に言えば、反作用の法則意識から、少々疎ましくも感じた。
目頭が熱くなる自分に少し苛立った。
(なんでオレの仲間じゃないのに、オレはこんなに熱くなって、・・・馬鹿みてえだ。)

ここの人たちは、素朴で優しい。
だから多分、諸手をあげて「ハオ(^^)!」って言えば、あっさり仲良く打ち解けて”僕も今日から仲間入りさ!”ってなるんだと分かっているけれど、なんだろう。
まだうまく表現できないけど、そういうことじゃなくて、東京を引き払って岩手に住んでいることの、「もう東京には戻っても何も無いんだよなー」っていう、絶対的な喪失感が、ココロの中にあったんだ。今日は。

どこであっても、でっかいちっちゃいに関わらず、そこは自分が生まれてから多感な時期、それからずっとを過ごしたその時間・場所なんだっていう事実。
それがお祭りにもっとも大切なプラスアルファを与えているんだって言うことかな。
今日、この祭りにこのプラスアルファがしっかりと感じられたこと。
それに僕は熱くなったこと。
そして、(事実としてのよそ者の)僕はこの祭りには参加できないっていう、本質的なことに気づいて、イラついたこと。
自分が、どこか熱くなれなかった悲しさ。

まあ、大げさに考えすぎだけど。・・・やっぱり、ホントのことだ(^^;。


だけど、強がって言うと、僕は傍観者でも良いって思う。
この人たちは、一緒に育って、ケンカしたり泣いたり笑ったりして、今この祭りで一緒に声を出しているんだなってこと。そのことがすごく宝物のように思える気持ちが自分の中にあることを知っているから。

結論。
みなさん 地元を大切にしましょう!


追伸。
お昼のお弁当の時間、隣にいたどっかのオバチャンが、僕にくれたおにぎり。
エビ天むすびだった。

おいしくて、なんだか沁みた。
[PR]
2006年 04月 28日 |
e0029553_1283165.jpg

来た来たー!
[PR]
by bigbirdman | 2006-04-28 12:08 |
2006年 04月 27日 |
うちの本棚には、図鑑がある。
本が好きな方って、本当に凝りだすとすごい量の本を集めるものだから、そういう方から見れば「フフン」って思われるくらいしかないですが。

でも、うちの図鑑には鳥関係の図鑑に限って言えば、「レアかも・・・!?」と密かに思っているものが何冊かある。

一番はこの本。
e0029553_22443262.jpg

「MIGRATION AND SURVIVAL OF THE BIRDS OF ASIA」
「アジアの鳥の移住と生存。」合ってますか(^^;?
この本の著者は、もうお亡くなりになった。
この方は、戦時中にアメリカの軍隊(医療関係)がアジアの渡り鳥を精密に調べるプロジェクトを行っていた、そのときの中心人物の一人の方なんだ。
鳥の渡り行動の草分けの一人っていえる。

僕は、1998年に東京の三宅島でのシンポジウムでお会いした。
もう80歳を過ぎたおじいちゃんだったけど、、目が優しい人だった。
日系ロシア人の少しだけ年の離れた奥さんと一緒に暮らしていたんだと、本が届いてから知った。
e0029553_2314429.jpg

本に一筆したためてくれた。
MARVEL AT THE TRAVEL OF BIRDS (鳥の旅への驚きを!)って書いてある(^^)。

この頃僕は、自分がどうやって生きていくのか、迷いの人生の初めの段階にいた。
今も自分は、何者なのかってはっきりとは分からない。
自分が心地よい感情をずっと探していけばいつかは自分が見えるのかもしれないって、漠然と思っている。
ただ今思うことは、その当時の僕は、ある意味、自分を鳥とともに追いかけたであろう一人の先達者が目の前にいること、そのことに対して、何とも盲目的だったんだなぁ。子供だ。

そんな中、彼が僕に贈ってくれた言葉が、「驚きを!」だった。

言葉って、どうしてこうも人によって重さが違ってしまうんだろう。
僕たちは、誰かの言葉を聞きながら、その人の人生をおもんばかっているんだ。
きっと。

そして、そのとおり、いつも驚きや楽しみの気持ちを持って、僕は鳥を見ているんだ。




次の本は、日本でよく見かける野鳥図鑑のインド版(^^;。
「BIRDS OF INDIAN SUBCONTINENT]
e0029553_2302545.jpg

この本は、前に記事にした先輩がアフガンの帰りに買って持ってきてくれた本なんだ。
e0029553_2324146.jpg

ココロ温まり、笑っちゃったのが、この付箋。
自分が現地で見た鳥をこうやって付箋をつけた状態で持ってきた(^o^)。

「なんすか、このマーク・・・。」
「いや、これさぁ、僕が見た鳥やねん。珍しいのない?」
「んな、インドの鳥なんか分がんねすよー(^^;!」

自分が、生きている時間の中で、どういうものに出会ったのか。
それはどのくらい珍しいのか。

こういうことは、あくまで個人的な思い入れと表裏一体だから、自分が好きだと感じたものならば、どんなものであっても、それはそれで価値がある。
それはそうなんだけど、このときの僕は、先輩の素直な好奇心に打たれた。
自分の道を一つ持っている男の、その遊び心にも似た、思わず「ププッ」となってしまいそうな精神の余熱みたいなものを感じた。
だから、内心「やられたー」って感じた。
(悔しいからポーカーフェイスでいた)

「あぁ、この人は僕なんかよりよっぽど鳥のこと、愉しんで驚きを持って見ていたのかも知れないなぁ」
と、僕のココロの声が呟いていた。

鳥に詳しいつもりで鳥をみていると、鳥がだんだんつまらなくなるんだ。。
鳥を見始めるきっかけは、姿、鳴き声、一体感。
もしかしたら、ひとつの生き物としての孤独感の共有。
その反対としての生き物の家族・集団・共同体の幸せ感。

自分が素直に感じたとおりに生きることは、難しい。
好きなことを実行して、生業にしたりすることは、もっともっと難しい。
もちろん、僕にとってのことですが(^^;。
だけど、生き物の本質として、安定感として、自分が信じている(であろう)道の途中にいるものは、素晴らしいし、(照れくさいけど)美しいって思う。

本の著者の先生が、僕に「驚きを!」って教えてくれたこと。
そんなことにお構いなく、自分の道を突き進む先輩が、奇しくも僕にその生き方を示してくれていること。

そうして、僕は、ブログに書きたくなるんだ。
僕がどういうものの間にいて、何を教えてもらっているのかを。

ポンコツ的生活が、一つの図鑑の鳥のようであるようにと!
[PR]
2006年 04月 26日 |
e0029553_18585053.jpg

波が鏡みたいになりますよ
[PR]
by bigbirdman | 2006-04-26 18:58 |
2006年 04月 26日 |
e0029553_12424020.jpg

[PR]
by bigbirdman | 2006-04-26 12:42 |
2006年 04月 26日 |
昨日はよめさんが出張で不在だったので、久しぶりに一人だった。
といっても何をするわけでもないんだけど、ダラダラしたり、酒を飲んだり、冷蔵庫を開けたり閉めたりしていた。
・・・普段と何も変わらない・・・。
そのうち、酔いつぶれて眠っていた。
河島英吾の歌みたいだ。

冷蔵庫って不思議だ。
一回見れば、中に何が入っているのか分かるはずなのに、しばらくするとまた行って空けてしまう。まぁ、オレだけか。。

昨日の自分って、何やってんだろう。と思うことがある。
失敗した自分、楽しかった自分、恥ずかしい自分。
酔っ払ってモタモタやってる自分は、人に迷惑をかけない限りは、何だかユーモラスであり、アホである。
でもこれは昨日の自分だからだ。

人は毎日生まれ変わる!
今日の自分。今の自分。軽い二日酔いの自分。
さあ、今日が大事。

e0029553_7352649.jpg


ガラッと窓を開けると、庭の藪からウグイスが飛び出した。
どこか離れた谷あいから聞こえる、ホーホケキョの声。
春は、朝が楽しみになるんだ。
[PR]
2006年 04月 23日 |
蝶は留まったときに、羽根をピンと閉じてとまる。
蛾は、羽を広げてとまるんだよ。
そう聞いたことがある。
e0029553_22441786.jpg

じゃあ、こういう中途半端な状態は、蛾蝶ですか?
ってことはもしかして鳥ですか?
(などと、誰に突っ込んでるのかよく分かりませんが)
でも、この日向で何だか楽しそうに飛んでいる蛾だか蝶だかをみるにつけ、何ともどうでも良いような気がしてくる。

ホントのことはシンプルだから、人はいろいろ生み出しちゃう。
シンプルじゃ物足りないから。

そして、何をすべきかが分からなくなってきちゃう。

起こってもいないことに、あらかじめ恐怖を感じて、その架空の恐怖を克服するために物や生き物に名前をつける(例えば、昔アフリカでライオンに名前をつけた人は、ライオンの恐怖を誰かと共有したいがために名前をつけたんだと思う)。
名前をつけて、「そうアレだよアレ、あの恐怖の代名詞さ」。
「よし、アレの駆逐ツアーをしようじゃないかー!」
「オー!」
なんてね。
この恐怖を利潤に置き換えて、国家の営業ベースでやると戦争になっちゃうんだ。
ある側面では。。

ホント、人って欲の生き物なんだよなぁ。
(それは他でもない。この自分のこと!悲しいけど。。)

命名とはスプレンド(あるいは物のこと)へでは無くて、インナー(ココロの状態の表現)へ向かうべきかも知れない。
ものの名前は多いけど、ココロの表現、語彙はそれに比べて圧倒的に貧相な気がする。
そして、そこからの心地よさへ。

限界のある言葉を、どのように組み合わせると、目的に到達するんだろう。
蜃気楼との追いかけっこにも似た、思いつきのブログ更新です。
[PR]
by bigbirdman | 2006-04-23 22:47 | 独り言 |
2006年 04月 23日 |
e0029553_22412437.jpg

どうかな。
あと、・・3日かな?

遠目には木々のあの、はんなりした赤味は見て取れますですヨ。
[PR]
2006年 04月 23日 |
今日は日中よく晴れた。
ピュンと吹く風は、山の暖かい風と海からのキュッと引き締まるような風で、それらは交互に吹いてくるから、モザイク模様をなして風が町の中を練り歩いているみたいだった。

e0029553_1761843.jpg


山からの風は、地面の溶ける匂いと枯れ草の甘い匂いが入り混じり、海の風はヨウ素のような少し生臭いような匂いを運ぶ。

地球はカオスであり、フラクタルであること。
混沌としていながら、相似的でもあること。
山と海が交わりつつ、季節は毎年同じように移り変わる。
e0029553_1763271.jpg

この写真のタイトル「文明と自然」!
なんちゃって。
[PR]
2006年 04月 23日 |
e0029553_16522416.jpg

なんて控えめな花なんだろう。

けして葉っぱを枯らすことなく冬を越える。

冬はこの葉っぱの緑に、春への想いを募らせる。

椿の花は、陽の当たらない庭の隅で、知らないうちに咲いていた。

ひっそりと咲きはしたものの、その春を謳歌せんとの想いを隠し切れない大振りな花。

けして空を背景には、写真に納まってくれないから、案外恥ずかしがり屋さんかもしれない。
[PR]