フクロウくんのポンコツ的生活
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2007年 07月 31日 |
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                                                     秋田県田沢湖町 2007.7.1撮影

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2007年 07月 31日 |
朝の涼やかだった風が、昼の暑さでぼんやりと移ろってゆく。
お風呂場の湯がだんだん温まってゆくように、ぼわんとした暑い風の流れに夏を感じる。
ようやく、夏が来た気分がしている。

それだのに、あと2週間もすれば、風の尻尾の方から秋の気配が漂ってくる。
東北の夏はそんなもんです。

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一瞬の夏を惜しんで、海で泳いだり、しこたま汗をかきながら山を登ったりすることで、「夏をやった気分」になれる。
これは大事なことだ。

本当か嘘か分らないけれど、誰かがまことしやかに「夏に海で泳がないと、冬は病気がちになってしまう」と言ったことがあった。何となくその場にいたみんなは納得したような顔つきになって、うんうんと頷いたりしていた。

僕が、「それってさぁ、海水の塩分が体を強くするんじゃないかなぁ!」などと、補足的に追加で意見を述べると、「いや、それはどうかな~?」って、根拠も無いくせに明らかに懐疑的な返答をされた。僕はいつも、こういう損な役回りになることがある。
(僕の方こそ根拠が無いので仕方が無いけどさ・・・)

ところで、自分が話し始めた事柄に対して、誰かから何かを言われると、たとえ同意的な意見であっても、それに対して賛意を示すことが出来ず、必ず「ん~、そうじゃなくってぇ・・・」とか、「いや、・・・」といった風に、否定的な意見をいう人がよくいる。理屈っぽい人に多いんだけれど、そういう人の場合、エキスの部分では同じことを言っていても、同じ言葉が指す内容の範囲や区切り方が、大多数の人と比較して変っていることが多い。

フクロウめは、どういうわけだか、このタイプの人によく話しかけられる。多分、好かれている。
そして好かれるということは、まったくもってありがたいことなんだけど、・・・疲れる。
・・・結局、疲れるというのは自分に疲れるんですね(^^;。

僕はかなり昔から、人から不快な思いをさせられると、ワザと強がってそれを好意的に受け入れようとしてしまう癖がある。これは僕の負けず嫌いな性格から来ているんだけれど、相手から否定されるほど「なるほど~」とか、「へ~、そう考えるんだぁ・・・」なんて、ココロの広い良い人間の振りをして、相手の”独自性を尊ぶココロ”をくすぐるような返事をしてしまう(相手が実際どう思っているのか分りませんが)。
・・・でも、内心はコノヤロ~!って思っているので、こういうときこそ、僕はタチが悪い人間だということがはっきり分る。自分の性格の悪さを必要以上に隠そうとしてしまうのかも知れない。

自分のことを話した後、こう言うのもおかしなものですが、人っていうのは、そういうところが面白いと思う(笑)。
そして、自分以外の人間ほど、相手が隠そうとしている心理を敏感に感じとる。
(何度もそれで冷や汗を掻いている・・・)
考えてみれば、自分の姿を自分の目で見ることなんて出来ないんだから、それもさもありなん、なのかもしれない。

要するに自分が考えている自分なんて、よその人が見ている自分と比べればほんの一部なのかもしれない(怖)。内面が外見に出てくる、というのが事実であればなおさらで、自分が隠そうとしている自分なんて、みんなからみれば所詮バレバレのことなのかもしれない。だから、下手に隠そうとするよりは、気にしないで周りに自分自身を溶け込ませることの方が、よっぽど正直で、賢くて、何よりも自然なことなのかもしれないですね。

最近は犬を飼う人でも、種類の違う二頭を飼って両方いっぺんに散歩させているのをよく見かけます。それを見るにつけ僕がよく考えるのは、”あの二頭って実は、それぞれ相棒の姿こそ自分の姿だと思っているんじゃないか”っていうこと(笑)。さすがにチワワとセントバーナードを一緒に飼ってれば、それはないでしょうけれど。
そしてそれを考えると、もう一つの”実は”で、さっき上に書いたようなことも言えるんじゃないかなって、ちょっと思ってしまったのが、今日の記事のきっかけなのでした。。


自分以外の相手を見つめながら、自分を理解してゆく。

こういうプロセスを自然に繰り返して、僕たちは人として成長してゆくんだとしたら、変に凝り固まって、「自分が、自分が」で生きてゆくことよりも、自分のココロを相手に預けるくらいで、何を言われても「そうそう!」って笑っている方が、本当は好きなんだよなぁ・・・。

そうは言うものの、なかなかそうはなれないフクロウだす・・・。
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by bigbirdman | 2007-07-31 23:36 | 独り言 |
2007年 07月 30日 |
けったいなタイトルを付けましたが、そのままの写真です。

先々週くらいのBWのときには、ウミネコがほとんどで、オオセグロカモメも親鳥ばかりが目立っていた河川敷に、今回はオオセグロカモメの親子がたくさんやってきていた。あ、これはこの間の土曜日です。


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                                          オオセグロカモメの親子(茶色いのはまだ若い個体です)



いつも同じように見える海鳥たちも、よく見ると少しずつ種の構成や年齢構成が季節変化する。そして、羽の色も繁殖期が過ぎると変化する。毎年変わる、また翌年も変化する。そういう移り変わりは人間には見られない。

シンプルに生きているものは、その単純な生活様式の中にたくさんの意味を内包させている。
鳥たちやそれ以外の生きもの全般に見られる、自然のサイクルによって、毎年変わり毎年新しい命を育てるという生活のスタイルに、力強さを感じる。
鳥たちは、僕たち人間の子育てや生活とは、必要な時間の長さが違う。
一年で孵化から巣立ちまでが完了するその完結性を、通年じっと眺めていることで、例えば淘汰される弱い個体を見ることが出来たり、自分よりも明らかに強いものにでも立ち向かってゆかなくてはならないときの、親鳥の毛の逆立ちまでも見ることが出来る。


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                                          ウミネコ(足が黄色い)



自然のダイナミックスは、下手をすると自分の人生ではもしかすると、一度も経験しないかもしれないような、ドラマを準備していることだってある。
そのくらい色んなことが、よく見ると起きているということ。

客観的にみると、命というのは冷徹で計算高く、どこまでも利己的であることが多いから、鳥の世界を見ているだけでも、それぞれの社会性を維持する仕組みに思いを馳せることから、反対に自分の所属している社会との同一性を見ることが出来る。

必ず勝つ必要は無いこと。
姑息にならなくてはいけないことがあること。
でも、大体の場合において、しつこく執着しないこと。
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                                      ウ(ウミウかカワウだけど、ちょっとこの写真では分りませんでした)



僕は鳥の世界から多くを学び、一方では人に悩まされながら、自分が大好きな、人との関係の構築の仕方を練習している。そして、少しずつ人との間の空気が柔らかくなってきた。
それでいて自分というものは、いつかいなくなる一つの命であるという、当たり前の距離感も抱けるようになり、たくさんの命が生活している地球というフィールドが、ずっとこのまま何も変わらなくて良いんだ、という実感を持つようになってきた。
・・・ちょっとかなーり大袈裟ですね(^^;。大変恥ずかしいので、ハーフサイズで読み流してください(後日追記)。


自分が成長してゆく過程で、ハードな思いをしたり疲れる思いを繰り返すことで、新しく身につけた処し方というものは、大抵は自然の中にその原型が組み込まれている。ただしそれは、漫然と何かを見ているだけでは決して気が付かない。そういうのって、そのときそのときを面倒でも真剣に考えて、フトしたときにココロの必要に感応するように、突然現れてくるものみたい。
だから、僕は多分いつまで経っても、鳥を見ることは止めないと思う。
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2007年 07月 30日 |
ヨーレンのせいか、朝方、体が重く、少し目が疲れ気味だったので、更新しようと思いつつ休んでおりました。

昨日は、よめさんの実家で夕方からバーベキュー飲み会で、2週間以上の休酒を断って、ビールと焼酎を飲んだ。
ひさしぶりのビールは・・・やっぱり旨かったですな(^^)!
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採れ立てのホタテにかぶりついて、ビールを一杯流し込むと、体がフルフルと震えた。
従兄弟のチビッコどもと交流を深め、充実の一晩だった。

そして、今日からまた休酒の日々です。


ところで。
今日は、選挙の結果にホッと一安心した。
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2007年 07月 25日 |
地上にいる僕という、豆粒より小さな一点から空を見上げると、午前中の一瞬だけウロコ雲が大きく広がっていた。
このウロコは、ほんの10分くらいの間にみるみる膨らんで、スーッとした薄い層雲に変わっていった。


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僕たちは風というと、感覚的には2次元で捉えることがほとんどだと思う。
北風、南風。そういうときの風の方向は、感覚的には自分の立っている地上の位置から南北方向に流れる風をイメージする。

だけど本当は、風にはもう一つの方向性がある。
それは吹き上げるものと吹き降ろすもの。つまり、上と下。

上空へ吹き上げる風は、その風という空気塊に含まれる水分を急速に冷却して氷結させるから、地上から僕たちが見ていると雲が出来るように見える。
反対に青空の部分は、風が地上に向かって吹き降ろすから、風の空気塊は氷結せずに温められる。雲が無いから青空が見える。

ウロコ雲の青と白の配色パターンは、そっくりそのままが、風の吹き上げ吹き降ろしイメージと繋がっている。

実際は、どんなに雲の形成をモデル計算しようとしても、高気圧や低気圧の影響で、横に引っ張られる力が働いているから、大変複雑。
大気の乱流なんてものは、こんな単純には収まらないカオスの化け物なんだけれど、あえてシンプルにイメージすることで理解しやすくすれば、そんな自然風景が自分の生活に身近になるような気がする。

別の言い方をすれば、雲に自分の人生観を味付けしてもらえるような、そんな気持ちになってくるんだ。相変わらず変な表現ですけど・・・。


ウロコ雲は、上下方向に空気がグルグル廻っていることを伝えている。
それは羊の群れが草原を歩いているように見えたり、魚が群れで泳いでいるように見えたりする(笑)。・・・でも、僕たちの魂って、死んで空に還ってゆくんだとしたら、あながちそんなイメージも間違っていないのかも知れないな、なんてちょっと思ったり。

ほんの10分ほどで形を変えていったウロコ雲。
携帯写真でパシャッと撮りたくなった自分の衝動。

この2つの出来事には、どんな関係性が潜んでいるのか??
名探偵コナンでも分らない、その答えを知るには時間がかかる。

自然現象と自分のココロ。同じく変化してゆくもの2つ。
大気の乱流を計算するくらい複雑なココロ、二つの変数の関係性。

空にカオスがあることと、自分の内面にもカオスがあることは、なにか大切な繋がりがあるような気がする。
その点についてだけは、確信がある。

ただ、それが何かはわからません。。

すぐには分らないことが、自分の中にはたくさんある。
もしすべての行動を自分で説明できるようになったら、それは何だか詰まらない、退屈な人生になってしまうでしょう。
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2007年 07月 25日 |
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始まりがこの青空と海で始まる日は、ワクワクする。
たとえ、普段と変わらない一日でも、青空一つでこんなに気持ちの浮き沈みが感じられる。

近畿地方では、梅雨が明けたそうですね。
本州で明けはじめれば、もうすぐ東北地方も梅雨明けでしょう。

思ったよりも早い時期に梅雨明けが来ると、なんだか得をしたような気がします。
明けましておめでとうと言いたくなりますね・・・orz
まぁ年によっては、明けてもしばらくは梅雨時期と変わらないような長雨が降るときがあるけれど、梅雨明け宣言一つで心持ちは全然違う。

自分の思い込み一つで、世界はこんなに明るくなる。
そのことが面白いし、それは、どこか楽天的な強さでもあるような気がする。

一日のうち、ある程度決まった作業をこなしてゆくことは、自分の内面を見つめる作業と結びついている。仕事が人を作り、またその人が新しく仕事を生み出してゆく。自分でも見向きもしないような、習慣に埋もれた自分の行動の中で、成長の種はゆっくり育ってゆく。それはたとえ大人になってからでも・・・。


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夏の一日の終幕は、いつもゆっくり降りてくる。

毎日毎日をこなしてゆくだけで精いっぱいだから、自分を振り返るのは案外時間が掛かるものなんだ。

スキッと青い空から赤い夕焼けまでの一日、少しずつ自分が見えてくる。
どこで何をしていても、毎日毎日、自分を探して生活している。
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2007年 07月 23日 |
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夕暮れが近づくと、どこからか涼しい風が吹いてくる。

今日も日中は蒸し蒸しして、外を歩いていると半袖シャツと二の腕が擦れるあたりが、汗で引っ張られて窮屈に感じる。
比較的ラフな格好で外勤しているので、これでもまだマシな方なんだけど、これからしばらくは、厳しい日々です。

そんな暑い一日の終わりには、たまにだけど海岸まで行って釣りをしている人を見ながら、この涼風に吹かれている。
何にも考えないようにして、「あ~、あぢがった・・・」なんて、ひとりつぶやく。

港の近くに隣接されている観光案内所の前で、缶コーヒーを買っていたら、そこに勤めているおねえさんと、久しぶりにバッタリ出会った。
「ちょっとフクロウくん、久しぶりじゃない。携帯の番号教えてよ!」
開口一番、こう言われて
「え・・?」
となってしまいました。



ちなみにこのおねえさんは、50代(になったのかな?)の、大きなお子さんもいる普通のお母さんであります。いつも明るくて、気遣いの細やかなステキな女性なのです。
昔、ちょっと観光案内所に用事があったときに知り合いになったんだけど、この人も鳥が大好きで、なんかの話題で鳥の話になったときに、意気投合してから親しくなった。
そのころ、僕が苗字で呼んでいたら、「おねえさんと呼びなさい」と言われて、それ以来逆らえずにいるので、”おねえさん”もしくは”ねえさん”と呼んでいるのです。

ちなみに職場の社員同士でも、既婚者であれば血縁関係が無くても、”とうさん”、”かあさん”とお互い呼び合う同僚もいるので、そういう習慣なのかもしれない。
ただ、温泉仲間の先輩もそうなんだけど、未だに自分のよめさんを”おっかあ”と呼ぶのだけは、ちょっとできません。
同僚同士で「今日もおっかあの弁当か?」なんて会話をするんですが、ここでの”おっかあ”がだれのことを言っているのかピンと来ず、かといってどうにも慣れずにいて、いつも一人置いてけぼりにされたような気持ちになるのです。。
地元の習慣に染まりたい気持ちは強い方だと思うのですが、どういうわけかこれだけは、これからも慣れることは無いと思います(笑)。

いつものように話が逸れました。電話の話でしたね。
観光案内所では、当然、観光用の案内板やパンフレットを作ります。で、そのときに、野生動物も観光の目玉の一つなので、いつ頃卵を産むとか、いつ頃産卵にやってくるのか、親鳥と子供の見分け方などなど、海鳥の生態について結構知りたいことが結構あるみたいなのです。
なので、そのときすぐに(せいぜい数種類の鳥に関してですが)、僕に電話で聞けるように携帯電話の番号を聞かれたというわけです。

別になんてことは無い、普通のやりとりなのですが、会うなり電話番号教えろって言われたこと無いので、一瞬ですが混乱してしまいました(^^;。
何だか可笑しな自分だな~と思いました。


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まだまだ空が湿っぽさを保っているので、もう少しは梅雨の日が続きそうです。
今年は何日海水浴が出来るんだろう。
もう水の冷たさばかりを気にしながら泳いでいるようなものだけど、盛岡の姪っ子や学生時代の友達が遊びに来れたら、一緒に泳ぎたいものです。
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2007年 07月 22日 |
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お昼からの半日の晴れ間で、気がつくとすっかり夏でありました。
梅雨明けはまだだけど、夏の日差しは昨日までのシトシト雨をすっかり蒸発させた。
大気の埃を一緒に落とすから、雨上がりの青空や太陽に反射する葉っぱの緑は、普段よりとても輝いている。
海を見ると、沖のほうはまだ靄がかっていた。昨日までの雨雲がまだ残っているのかな??

そろそろ、夏の無人島調査の時期が来ます。
梅雨明けの時期とほぼ同じくして、毎年三陸沿岸の無人島に行くのです。
今年は、ヨーレン菌の後遺症が怖いので、直前までの体調を様子見ながらの参加になると思われ、もしかしたら、初参加以降の連続出席が途絶えるかもしれません(T T)。

何かですね、毎年少しずつ体力が落ちていますね~(^^;。
野外調査は30代前半が知識・積極性・体力ともにバランスよく充実しているはずなのに、知識はさて置き(^^;、去年一昨年と、過去記事などに目を通しながらこの時期のことを思い返すと、年々確実に体力・免疫力が落ちているのが分かってしまいます・・・(ブログって怖いっ)。野外活動はほとんど何でも好きだけど、今年のようにいまいち調子が出ない年は、それを本業にしなくて良かったなぁと思います(笑)。


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それにしても、この夏はヨーレンにすっかりやられてしまっています。
抗生物質の服用が終わる来月半ばまでは、大好きなお酒も我慢しています。
今日で2週間近く断酒しているけれど、こんなに飲まなかったのは酒を飲み始めて以来初めてかもしれません(^^;。
う~ん、スゴイ!!(っていうか、今までのオレがダメじゃ~ん!)

母が病気なので、いつも健康には留意するように言っているのですが、今回は逆の立場になってしまいました。日頃の鬱憤を晴らすためか、なんだか必要以上に「オマエの不摂生だ!」と母から文句を付けられてしまい・・・タハハ、トホホ。

どうも今年は、リズムに乗れずに8月を迎えようとしています。
ダメダメ言ってても仕方が無いので、明るく活発に行きたいのは山々なところではあります。





ふと気付けば、先日の18日でこのポンコツ的生活もおかげさまで2周年を迎えることが出来ました。
これもひとえに皆様のおかげであります。ありがとうございます。

あまり外交的な運営をしていないもので、ご訪問頂いた方の総数も2年で4000(名?)を少し越えたくらいです。
・・・それにしても、大変ありがたいものですね。感謝しつつ喜んでおります(^^)。
(ちなみに、記事の数は700を越えたくらいです)

更新も飛び飛びで、いつまで続けられるか分りませんが、とりあえず1000件くらいはエントリーしたいなぁと思っておりますので、これからもひとつよろしゅうお願いいたします。
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2007年 07月 20日 |
今シーズンは、未だに野球ネタを記事にしていない。
どうも今年は、野球が面白くないと感じている。

やれハンカチがどうしただの、マークンって誰だ?って感じで、マスコミ自体が勝手に盛り上がっているだけの感が否めないから。

今年くらいマスコミに逆風が吹いている年も珍しいんじゃないかな?今年は、マスコミにとっては厄年でしょうね。僕なんかがたまにテレビを見ていても、政治報道がなんとも宜しくないので、それ以外のドラマやプロ野球でさえ、そんな不公平なマスコミサイドの内側ばかりが気になってしまい、大変疲れる。そして余計見なくなってしまう。いつから、素直な好奇心や正義感を触発されないテレビ業界になってしまったんだろう??オレが単に変わっただけなのかな。。

こういったことと今年の野球が詰まらないことは、決して無関係では無いと思うのです。



今日は、オールスターゲームだったようです。
昔は、オールスターのときには、贔屓のチーム(ずっと中日ファンです)の選手が出るのを楽しみにして、テレビでもラジオでも実況を聞いて展開を読んだり、次の配球を予測したりと、それなりに興奮しながら見ていたのですが、今年はそれがどうした?という風に、インターネットで結果を見る程度。(もちろん中日が今年も大好きなチームであることには違いありません)

どっちがマークンでどっちがハンカチくんだか分らない。
そこで、「どれどれ?」なんて、グーグルで調べようとも思わない。だって、別に楽天のルーキーが好投したことが、それほど大きな記事だとは思わないから。もちろん頑張って欲しいけどね。
それ以上に、今年は中日が連勝したって、嬉しいには嬉しいけれど、ファンとして一緒に優勝を目指していることに、それほど楽しさを感じない。何でかなぁ。

去年はそれなりに面白かった。けれど、例えば今シーズンから、上位3チームが決勝戦に残って、その中から優勝を決めるわけでしょ?そしたら、結局は3位と4位のチームはそりゃ必死になるだろうけど、1位、2位のチームは、決勝戦をどうすれば有利に戦えるかを考える。それはそれで戦略だから良いとして、何よりも、1位の意味が希薄になってしまうことがどうもしっくりこない。

1位-3位でもう一回戦うことで、当然得をするのは興業サイド。興業なんだから得をすることは別にかまわないんだけど、リーグのあり方としては、別に今までどおりだって、特別に問題は無かった。シーズン120試合くらいだったのが、130数試合になって、今では150試合近くなっている。プロ野球の選手寿命が短くなりそうで、何とも気の毒、可哀相だと感じる。

ダラダラと試合数を増やせば、そりゃ大リーグみたいに述べ数の観客動員数は増えるけれど、根本的に野球人気が下火になってきたことは、特に優勝に至るまでのリーグのカラクリにあるわけでは無いんじゃないかと思う。

確かに、早い段階で優勝が決まってしまうと、あとは消化試合になって球場が満席になることはあまり望めなくなる。まぁそういう意味では、決勝戦をすることは、野球を盛り上げることに効果があるとは思う。
・・・ああそうか、ここが目的なのか。今分りました。
確かに効果はあるかもしれない(^^;。


でも、何だかなぁ・・・。これって、やっぱり某名門チームの保険制度じゃないの~?
そのうちやりそうなのが、この決勝戦のためだけに他のチーム(例えばアメリカや相対リーグ)から、有力選手をトレードや新規契約とかして連れてきちゃう殺法。
そうなれば、金があるチームが一段と有利になって、その勢いで優勝をしてしまうとか。
まあ、リーグが変われば慣れるまでにしばらく時間が掛かるから、そう旨くはなかなか行かないはずだけど、金のあるチームが3位までに残れば、そっちの方がやっぱり有利になる制度であるような気がします。


制度や枠組みのことをいえば、社会制度もここ数年ですっかり変わって、やることなすこと新しいものが多くなっている。
介護保険、(社会保険も含めて)健康保険、医療、選挙、学校etc.etc.
変わってしまうことに疲れているから、プロ野球の新しいやり方にも何だかなぁ・・・という気持ちがつい先行してしまう。世の中って、景気が悪いと保守的な考え方をする人が増えるんですよね、確か。何となく、その気持ちが分る。

今年は、好奇心の食指が伸びない一年になりつつある。
今の与党も、「変えよう変えよう」とあっちこっち弄くり回しているから、多分僕たち疲れちゃってます。(そうじゃない方ゴメンナサイ)
”昔の良いとき”・・・って、いつのことかも指摘できないアバウトな言い方で恐縮ですが、もう少しみんなが暖かく笑っていた余裕のある時代に戻らないかなぁ。

セコセコしてきたプロ野球を見ていると、底知れず薄ら寂しいものを感じるのです。

でも、その分自分の周りの人たちや、海とか山に癒されることがあるという事実。
単につまらない連中が作ってきた世界の、よく見ればスケスケのハリボテが剥がれてきただけなのかも知れない。

”本当に楽しいことや、本当に幸せだと感じることに僕たちはだんだん敏感になってきている。”

実生活の目線から楽しい言葉を綴っているブログを見ていると、そういうことを感じる。
競争よりもシンパシーが、僕らの日常生活に台頭し始めているから。
本当に面白いもの、それが大きく変わりつつあって、既製のメディアや社会枠ではもう追いつけないから、提供が出来なくなっている。

一つの出来事から切り出したある個人特有の感慨は、大衆受けを狙った結末を想定したドラマの筋書きとは、比べ物にならないくらい多分に広く、共感の根を持つ。


そんな今の時代は、そういう意味では、とても面白いと思う。



(なんつって、何か偉そうな評論家みたいだ・・・汗)
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by bigbirdman | 2007-07-20 22:48 | 独り言 |
2007年 07月 19日 |
今週はあっという間にもう金曜日になる。
火曜日から始まる週は早いですね。

昨日までずっと曇りや雨が続いていたから、今日の晴天は嬉しかった。
梅雨らしい雨もあまり感じることなく、7月も終わりに近づいている。

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先月お酒の席で知り合いになった方がいて、その方は地元でカヌーのショップをやりながらインストラクターもしている。
旅行家で世界各地を旅しているので、いろんなことを知っていて、話を聞きながらお酒を飲んでいると、翌日仕事だったのに気付くと明け方の4時になっていた。

その方が言っていた印象に残っている言葉は、

「時の流れが早いから、しっかり先のことを考えていないと、そのうち何もできなくなってしまう」

彼が今の彼を揶揄していった言葉だったのに、僕は何だか僕のことを言われているようで、変にドキッとした。

旅に出るのは、どうしてなのか。

旅に出たのは、どうしてなのか。

多くの旅を終えて地元に帰り、自分の好きなことに関わって生きている人の口から、こういう言葉が出てくることが新鮮だった。そして、何となく言わんとしていることも理解できた。

ある意味、僕が憧れを抱いている生き方をしている人だけど、その人格の中に持ち続けている「ここでは無いどこか」あるいは「これではない何か」を求める気持ちは、彼の旅をもってしても見つけることは無かった。ということなのかな。その辺は、ちょっと分らない。

今までの僕には、自分の生き方の方向性に大きな二つの道筋があり、大きく分ければ、一人で生きてゆくことを続けないと実現できそうも無いコトというのが一つであり、もう一つはよめさんと一緒に実現してゆけるコト、というもの。

そして結婚した今の自分が探しているのは、そのどちらでもない第3の生き方。一人のとき茫洋と目指していたものが、二人になった生活のどこかにも当然潜んでいるという前提で生活している。(ちなみによめさんもそうであって欲しいと思う)

要するに微分法的な探り方をするので、今のところ、不満はあるけど、生活の目標があっちこっち大きくぶれない。その代わり、時間が掛かる。
まるでコーヒーを淹れるように、自分の憧れに含まれるペーソスを抽出して、あまり満足していない仕事を中心とした生活の中に、その憧れの断片が潜んでいないかを感じようとしている。
・・・往生際が悪いというか、男らしくないというか。でも、正直そういう状態なので仕方が無い。
あがき系ブログと言うことでどうぞよろしく。

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ところで旅に出る目的って、実際、人に理解なんかされたくも無い事柄でしょう。
学生の頃はよくそんな議論もしたような覚えもあるけど(笑)、人に理解される目的があるからって、旅になんて出るわけが無い。だからこそ、それが旅たり得るわけだし。
旅は他者の介在を必要としない衝動。
その代わり、旅は自分をじっと見つめる作業を強要される。自分が望まないくらい自分に疲れているときでも、自分のことを考えてしまう。

だからといって、そこを考え尽くしたときに見えたことをベースにして社会で生きようとしても、それが自分にジャストフィットするとは限らない。この感覚的な矛盾に直面して、自分を受け入れるか、まだもがけるか、あるいは自分を排斥するか(自分探しの旅のさなかで、死んでしまう旅人もいる)。
長く旅をしていると、きっとそういう、旅を終わりに導くキッカケが出てくることがあるんだと思う。どうしても疲れてくるから。

40代、50代になっても、まだ旅を続けられる強者もいるけれど、それはスタイルとして、というか、基本的に旅人としての自分のライフスタイルを許容することができるから、成り立っている。ときには、旅そのものがジャストフィットする人だっているということ。

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今回知り合いになった彼は今は50代だけど、もちろん今よりずっと若い旅のどこかの時点で自分と社会の接点を見つけ、自分が好きなことを媒介にするという、僕から見て最高の船(カヌー好きだから、最高のカヌーかな?)に乗って生きている。

あの飲み会の明け方は、(初対面とはいえ)その彼をもってしても、今の自分にどこか乗り切れない悲しさの影を見た。
彼の酔目の奥。

だから、あれ以来、たまに僕は考える。
否定的な要素の無い生活って、そもそも無いのかも知れない。何でもかんでも、アホみたいに今を肯定的に受け止めすぎることは、自分のか弱さをたくさん裏側に塗りこんでしまう。

だからこそ、彼が初対面の僕に、自分が抱いているココロの華やかでは無い部分を素直に語って聞かせてくれたことに、強さや優しさを感じたんだ。

そのうち彼のショップに行って、コーヒーを飲みながら海の話が聞きたいと思っている。
この町には友人が少ないフクロウなので、自分の行きたい場所が増えて嬉しいのです。
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by bigbirdman | 2007-07-19 21:11 | 独り言 |