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フクロウくんのポンコツ的生活
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2007年 08月 31日 |
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2007年 08月 30日 |
今日は盛岡出張だった。
国道沿いの風景は、ゆっくりと秋に向かっている。
例えば僕の場合は、空気中の水蒸気が何時頃、どんな風に水になっているのかを気をつけて見ていると、だんだん秋の気配が高まっていることに気が付く。

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空はだんだん澄んでくる。
雲が減ってきて、空の青さに思わず眉間が開く。
スーッと息を吸うと、午後遅く、夕方あたりの空気は地表付近で水蒸気が凝結するからか、湿った草のいい匂いがした。


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ナナカマドの実は、熟す途中。真冬になると、仕方なく(?)ヒヨドリがこの木に寄ってきて、この実をついばむべきかどうしようか・・・、悩んでいる姿をよく見かける。
鳥が見向きもしないだけあって、熟し途中ではあるけれど、やっぱりこの実はあんまり美味しそうに見えない(^^;。葉っぱはもう枯れつつあって、見た目にも少しみすぼらしいかな。
でも、冬空のこの木の赤い実は、どこか凛として良い風景だとは思う。。



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田んぼでは風に吹かれた稲が風紋を残し、その風の通り道を示していた。
見上げる空も雲が風の通り道を示している。植物は素直だなぁ。

稲と雲。風の跡。
地表から雲までの間は、どのような渦を描いてお互い繋がっているんだろう・・・。
命が循環する、風が運ぶ。
太陽が暖める、水が流れる。

こんなに複雑で、誰にも分りえない、これからの地球の移り変わりの先には、嬉しいことが待っているんだろうか。それとも・・・。
ただ一つ思うのは、みんなが精いっぱい自分を生きることで移ろう変化だったら、その先にあるものは、何であっても仕方が無いということ。「仕方が無い」っていう表現はおかしいか・・・(^^;。
・・・何であっても、構わない。
モノゴトの価値は、自分一人じゃどうにもならないことだから。

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欲深くて、自分のことで普段はいっぱいな自分だけど、川原に腰を下ろしているときくらいは、トンボが生きているその姿かたちに共感できたり、それを楽しんで見ていられるような自分であれば、とも思う。


初秋のトンボは、ちょっと疲れているみたい。
今年の夏は暑かったからかな。


毎年のコトながら、北国の秋の早さには寂しさを禁じえまへん。。
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2007年 08月 28日 |
明け方の土砂降り雨は、その雨音が屋根に当たる音でゆっくり眠れる。
今朝は、とても激しい雨で、家の脇の排水路を路面の雨が流れ込む音まで、はっきり聞こえてきた。
でも、それもつかの間、1分後くらいにはまた眠っていた。
自然が作り出す音は、考えることをストップさせる力がある。
川の濁流、滝の音。轟々と響く風の音もそう。

今をしのぐっていうのは、つらい時期を過ごすことでもあるんだけど、すること自体はシンプルな場合が結構ある。山でテントを張っていて、突然の台風(っていうか知っていたけど甘く見ていた)が襲ってきたとき、林の中に補強のロープを張って、テントの周りにテントに水が入らないように、排水のための溝を掘ったことがあった。学生時代に使っていたテントが、だんだん防水が落ちてきて、水が染みてくる。あまり干していないテントは、少しすえた臭いがして、まるで自分が穴倉の住人になったような錯覚を覚えた。そして、ただ、テントにあたる雨の音や林の木と木がゴツ・・とか、バキッとぶつかり合う音を聞いていた。

それ自体は、本当にシンプルなことだった。ヘッドランプでテントの屋根を見上げて、ボーっと何も考えずにいただけだったから。

圧倒的な、明らかに自分には抗いようも無い出来事に出くわしたとき、不思議と落ち着いていることがある。それが何でなのかはよく分からない。
ただ、自分で何とか解決しようとか、自分が頑張ってこの苦境を乗り切ろうとか(同じか・・)、そういうことを考えているときに、例えば自分が病気で余命幾ばくも無いという事実が明らかになると、ビックリすると同時にふと落ち着いている。そんな不思議な状態になることがあるんじゃないか。そう思う。

人は少しずつおかしくなってゆくことがある生きものだけど、それは今の苦しさが永久に続くんじゃないかって、思い込んでしまうことが原因になることがある。具体的には書けないんだけど、ニュースとかを見ていて思うのは、介護の苦しさや、家族との離別のショックから、精神に異常をきたして社会的にうまくフィットできない状態になるときは、多かれ少なかれ、今の苦しさを何に置換すればいいのか分らない、考えられない状態に陥っているんだと思う。

何かひとつのきっかけが、トータルで自分を救ってくれることはほとんど無いんだけれど、圧倒的な天気の力や地球の運動をあからさまに目にすることで、大きくなり過ぎてしまった自意識が小さなものに思えてくる。自分の夢や将来の希望が、もし適わないとしても、それは適ったときと比べて、それほど大きな違いがあるものではない。それが癒しに属するのか、あきらめに属するのか分らない。でも、ちょっとの過ぎたる虚栄心が自分を苦しめたり、本当はどう思っているのかを曇らせたりする。

明け方ハードレイン、トタン屋根に当たる音。
この雨が降っている間は、僕は何も考えなくてもいい。
いつもそう思っている。


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とは言うものの、出勤する頃にはすっかり小雨になっていた。。
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2007年 08月 26日 |
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秋口は葉っぱが太っているからか、葉の影が濃くなる。
白壁と葉影のコントラストにも、季節感があるような気がした。

光も生きものの体を透過している。
影の濃さにその命の力強さが現れている。
厚く成長した葉は、より光エネルギーを体内に蓄積して、冬に備える。
きっと葉が落ちる頃、そのエネルギーは地面に溜め込まれるんだ。

光が弱くなって、葉っぱが落ちる季節には、目には見えないたくさんのエネルギーが大地に溜め込まれている。種がこぼれて芽吹き始めるのは、その大地のエネルギーが燃料になっているはずだ。

多くのものは、土からエネルギーを貰って生きている。

一葉の植物が地球との繋がりを語っていること。
ストーリーは多様だけれど、その一つとして自分の人生があって、すべては地球と連動している。その文脈から語られる限り自分に起こるすべてのことは、必ず受け入れてゆけるのかもしれない。
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by bigbirdman | 2007-08-26 23:32 | 独り言 |
2007年 08月 26日 |
この土日は、特になにをするでもなくゆっくり過ごした。
今年は盆休みが取れなかったので、この数日間は疲れ気味だった。
過ごしやすくなってくると、体の疲れが出てくるみたいで、朝晩過ごしやすいので、睡眠時間が長く取れるけれど、目覚めが悪い。

さて、今日は久しぶりに国道を北へ上がり、新しいイタリア料理の店でスパゲッティとピザを食べた。漁港の目の前に赤と緑のイタリアチックな配色の建物が現れた。
12時を過ぎる頃から地元の母ちゃんがちょっとワクワクした感じで入ってきたり、親子4人で入ってきたり、ごく家庭的な雰囲気で大変居心地の良いお店だった。
静かな雰囲気のシェフは、しっかりと料理の細かいところにも手をかけているのが、シロウトの僕にも十分伝わってきて、大変満足なひとときだった。

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漁港近くの民家の軒先で、小あじを干していた。これは今時期1パック100円で産直やスーパーで売られている。こういう風に干してみたい!!と思って何度か挑戦しているんだけど、すべて失敗。僕がやると、どういう訳だか腐ってしまう・・・。(よめさんは面倒くさがってやってくれない)


フクロウくんのポンコツ的生活といえば、自虐的な自己分析と無駄にデカイ海岸の風景などが特徴ですが、そういえば最近は水辺の写真を撮っていなかったような気がしていたので、昨日今日は川の写真と海の写真を撮り歩いてみた。
・・・のに、家に帰るとその写真データがスッポリ抜け落ちていました。
消去してしまったようです・・・。
よくやらかしてしまう自分ですが、こういうヘマは初めてでかなりガッカリしてしまいました(^^;。


河川敷の夕暮れは、西日が斜めに差し込んで、うっすらと靄がかった本流の上を無数のトンボがビビビ・・・と飛んでいて、秋を感じさせた。朝のトンボ、夕暮れのトンボ。もう少し秋が深まってくると、まるで酔っ払った僕のように大きな目から頭まですっかり赤く出来上がってくる。
環境がいいからトンボもたくさん飛んでいるんだ。


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唯一生き残った海の写真。今日は残暑残暑で暑い一日。家族連れで海水浴をしたり、お父さんと親子二人で釣りをしているのを、「良いねぇ・・・」なんて言いながら、海風に吹かれていた。




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庭のサルスベリ。このピンクには毎年元気を貰う(笑)。うちの木が近所では一番綺麗な枝ぶりだと、木煩悩な僕はひっそりと自負している。今日はハナバチがたくさん来ていて、大きいのから小さいのからブンブン飛び回っていた。ハナバチはスズメバチ系と違って、おっとりしているから好きだ。
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2007年 08月 23日 |
すいません。
ブログ開店休業状態です。
元気でおりますので~。

(ちょっと仕事が忙しい時期なので、お休みしています。。)


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by bigbirdman | 2007-08-23 00:48 |
2007年 08月 21日 |
昔、奈良県に旅行に行ったとき、今で言うワークマンのような建設業の作業服を、自営で卸売りをしていたおっさんがいて、僕と親友二人の三人が地元(奈良)の屋台飲み屋で知り合いになった。

「おい!わしは年商1億3千万円や!」
「すげ~!・・・ビール飲んで良いですか?」
「(ど突かれてバシッ!)当たり前やん!1億円よ。お前も男やったら、一気飲みせんか~い!」

結局、僕たち三人はスナックに行ったり、夜更けまで飲みに付き合わされて、最後にはそのおっさんの一億円工場(こうば)の事務室で雑魚寝をした。けれど、あんなに夜はイケイケでぶっ飛んでいて、浴びるほど酒を飲ませてくれたおっさんが、朝起きたときに、寂しい経営者の顔になってしまっていたのが、静かなショックだった。

梅干のような小さな目をシパシパさせて、「何か食うかぁ~?」って朝ごはんの心配をしてくれたんだけど、僕たちは反対におっさんの先行きを心配していた。
がらんとした小さな工場も、人気(ひとけ)がまったく無くて、何だか寂しくらい広々と見えた。

店の棚には、まだ新品の作業服がサイズも色もたくさんビニールに包装されたままで積まれていた。
「お前ら、着るもん無かったらそこの棚の服、好きなの持っていったら良いでぇ(笑)。どうせ差し押さえでみんな持っていかれるんや。。」
・・・そのおっさんは、自己破産申請中で、とっくにお店も潰れていた。

・・・どうして、このエピソードを書いたのか分りません。
でも、当時大学生だった僕にとって、自己破産という言葉の響きが、今僕が理解しているその言葉のイメージより、もっと深刻で先行き真っ暗なものであったことは事実です。

「若いときは、若いときで大変やけど、思い切って行っとけ!」
そのおっさんは、こう言いました。
そして、それは間違いなく真実だと、僕は思う。

でも僕は、そうやって生きれない。
そのときだって、あのおっさんが、ドンと度胸一つで会社を興した自分のことを、明け透けに話してくれればますます、おっさんが言う生き方を自分には出来ないものだと思い込んでしまう自分がいた。

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足首にアンカーが付いていて、まるで動きが制限されているんじゃないかと思うくらい、僕は自分の生きかたに滑稽さや窮屈さを感じることが多い。昔から自意識が強すぎるので、どうしてもコレで良いとはならない。損な性格とも言えますが・・・(^^;。



それほど多くない旅の思い出として、僕は出会った人たちのことを、意外と細かく記憶している。
特に破綻した人や、とんでもなく変質的な人物のことは、会話の中でどのような目の動きをしたかまで覚えていることもある。
そして、そういう人たちの冒険談や変態談を聞き、いつかそんな風に大きく、ときには危険に(笑)、生きている男になっている自分を空想する。

そんな僕にも、何度かそうなれるチャンスはあったんだけど、その度に親や親戚の反対の言葉を突き破ることが出来なくて、そこで立ち止まって引き返してしまった。それは、周りのせいじゃなくて、コントじゃないけど、本当は引き止めて欲しかったから、引き止められたんだと思う。

大人になってくると、本当に自分が望んだ選択では無くても、あとから今の自分を正当化しなくてはならない。尤も、そういう風に今の自分が本当の自分じゃないって思い込んでいる時点で、僕には本当の自分になれる素養が無いんだろう。
ひょっとすると、ポンと飛び出す勇気を忘れて生まれてきたのかも知れない・・・。



あ~だめだ。なんか暗くなってきた(笑)。
暗い旅の思い出でしたね・・・とほほ。

次は明るいものにしますね。
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by bigbirdman | 2007-08-21 00:01 | ダメネタ |
2007年 08月 20日 |
今日は曇りがちな天気だったけれど、雨も降らずに一日を過ごした。
朝晩の涼しさが、地面を秋の雰囲気に近づけているような気がした。

先週あたりから、秋の虫が鳴いている。
夏が終わって、日照時間が短くなってくると、コオロギやスズムシの体内時計が反応して、あの綺麗な虫の音を奏で始める。彼らのほとんどは、卵を産んで死んでゆく。
虫の鈴の音って、そういうことなんだ。セミの声もそうだけど。

僕はあの音に季節を感じる。
ただ単に、毎年その時期に虫が鳴くから、季節を感じるのではないと思う。

引き継がれることで続いている。
命の流れに思いを馳せることで、確かに、未来を考える人間は救われることがある。
自分という意識体が無くなっても、その次の世代を生きるもの達がいてくれるという安心感。
虫の音を通して考える、命と意識。
そのことを感じるのは、ホッとする一瞬なんだろう。。

でも、ぜんぜん解決にならないのは(笑)、自分の意識がこの世界から無くなって、この体がみんなの前から消えてゆく時が必ず来るという事実。
誰かから見れば、僕が先であれ後であれ、いずれ消えてゆく、その怖さにいつだって圧倒される。

でも、虫たちは、毎年それを繰り返している・・・。

そして、今という時間に調和しようとしている鈴の音に僕は、勝手に「めぐるもの」を感じている。
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2007年 08月 18日 |
お盆が終わると、急に雨降りもようになった。
涼しくて過ごしやすいので、つい寝すぎてしまう。
暑さの疲れがどっと出てきたようで、今日は久しぶりの休みだったので、よめさんと南へとドライブしていたんだけど、4時頃ついた温泉場で1時間半も眠ってしまった。

例年通りだと、これから夏の疲れが出てくるので、早寝早起きで規則正しく生活したい。

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気仙川河口のカモメ溜りの様子。数は数えなかったけれど、かなりの数が羽を休めていた。
ウミネコとオオセグロカモメ、セグロカモメしか分らなかった。


この河口には秋に入ると、シギが立ち寄る。もう来ているのかなと思ったんだけど、まだ8月18日だと着いてから気がついた。な~んだ、まだ18日じゃん。あと何日かは、夏のような天気があっても良いかな、っていう感じです。


のんびり車で動きながら、ホームセンターやマーケットで買い物をして帰ってきた。
久々の完全な休みだったので、普通の休日がなんだか新鮮だった。
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2007年 08月 17日 |
一年ぶりに、親友から手紙(残暑お見舞い)が届いた。

彼は以前、奄美で農業をやるという目標を持って南へ旅立っていった。
その彼は、その後も熟考を重ね、遷ろって、結局四国で農業研修施設のスタッフをしている。
彼は外国の人が好きみたいで、発展途上国の農業研修生に日本の農業を教えている。
僕と彼は、林学が専門なんだけど、二人ともそれ以外の分野に進んでいる。
まあ、農業と林業だったら繋がりを想像できるけれど、なかなかリンクし難いのは僕の方かもしれない(^^;。(ちなみにフクロウめは、分野で言えば福祉関係です)


直接たずさわる就職先が制限されているんで、林学の就職先は多様です。
「植生の多様性」なんて、林学の教科書によく出てきそうなのですが、そのまま就職するときは「職性の多様性」になります。・・・なんて、詰まんないこと言ったりして。。


彼の手紙には、「来春からアフリカに行って、林業の講師をします」と書いてあった。
予定ではあるけど、協力隊の隊員候補になれたみたいだ。
確か、3~4年前にも協力隊に応募して、そのときは残念ながら落ちてしまった。
そして、それに奮発した彼は、ほぼ無給に近い条件で、あるNPOのボランティアスタッフで一年間、やっぱりアフリカで林業のティーチングスタッフをした。
そして、農業を教えるという形を自分の得意分野にまで高めて、今回晴れて協力隊のスタッフ候補になれるくらいまでになったということだろう。


自分の望む方向を内省的にも行動的にも実践してきた、その数年間の人生が確実に実を結びつつある今の状態を、彼は今どう捉えているんだろう。彼は、僕がやりたくても出来なかった、常に妥協を避け、孤独で一人、黙考を重ねる時間を生きてきた。
多分、今もそうなんじゃないか。


僕と彼は、歩いている道は違うし、多分同じものを見ても考え方が違う。
だけど、譲れないものがかかった時の迷い方がよく似ている。
決めるのに時間がかかる。往生際が悪い。みっともない。
・・・これ以上書くと僕は悲しくなって、彼は怒り出すだろうから、書かない。


ただ、うまく表現できるか自信が無いけど、なんちゅうかこう、ある意味上手なんだ。
自分の中で大切にしている何かは、生きてゆくとどこかの時点で、思い切って切り捨てなければ前に進めないことが、ごくたまにある。で、そのときに捨てないで済むやり方を見つけるのが上手なんだ。

例えば僕は、仕事や自然観察を通して、人のココロが進んでゆく場所や還ってゆく場所に、独りよがりであれ、何となく関心を持ち続けている。だから、人相手の仕事上では、どうしても機械的に人を振り分けたり、”取り扱う”という表現をしなくてはならないほどの忙しさを前にすると、そのときは何とかこなしても、後から悩んでしまう。・・・っちゅうか、ぜんっぜんこなせていないのです(汗)。
まぁ悩むことが、自分を保つ方法なんでしょうね・・・(クッ)。

一方彼は、農林業を教えるという立場に就いて、たくさんの文化的な背景のある人々を前に、多くの失敗や、笑いなどを通して、彼らの身やココロが帰ってゆく国を豊かにさせようと努力することを通じて、結局は僕が関心を持っているのと同じものを見ているんじゃないかな。などと、最近は、そう思えるようになってきたのです。

職業や趣味は面白い。違うことをしているもの同士でも、それぞれが真剣に取り組んでいれば、芯の部分で共鳴する音色を感じることが出来るようになるから。
ただ、それが深さなのか、直感なのか、思い上がりなのか(ビンゴかもしれない・・・)。
その辺は分らないけど、過去よりも年齢を重ねるということには、ある方向に収束してゆくイメージが付きまとう。


でも、良いことばかりじゃない。
農業をやろうとして諦めたときは、彼が結婚しようと思っていた女性とも別れてまでのことだった。そういう思いをしたり相手にさせてまで、今の方向に進むべきだったのか。それは、過去には戻れないんだから、考えてもナンセンスか。でも、本気で悩んだ結果として、推進力になる別れはある。

要するに、ブログで書くことじゃないけど、見方によっては彼の不器用さからくるつらさや情けなさを、強がりで蓋をしてまた一歩進んでゆくのだから、そういう強引な面が持つ悲しさも感じているのかなって、ちょっと気になる老婆心な親友フクロウなのでした。

※なんだか僕のブログは、書けば書くほど友達が減ってゆきそうです・・・。

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コスモスの花畑 ~何かと何かの間で~


カオスがコスモスに変わって 少し自分が変わる
思考には本来欠陥が在る と言うことを自覚しておく


カオスをカオスだと認識・表現できるのは思考による

カオスはカオスだと気付かれると 途端におとなしくなりコスモスに変わる

でもコスモスを組み合わせても 自分の居場所は見つからない

コスモスの花畑は 種をまく大地を常に探している


コスモスのために探すこと 不思議(カオス)の大地を常に探すこと
そこへこぼれ落ちる歪(いびつ)な種に 新しい命が宿ってゆくのだから

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by bigbirdman | 2007-08-17 00:41 | 独り言 |