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フクロウくんのポンコツ的生活
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2007年 09月 30日 |
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2007年 09月 27日 |
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夕方のガマズミが真っ赤に実をつけていた。
暗がりで突然フラッシュをたかれた芸能人の密会のようだ。

暗がりの写真は物体が反射させた色そのものを映し出す。
真っ赤な実はナナカモドもそうだけど特に目を引く。
目の焦点が赤にギュッと引き寄せられる。


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ハギの花。
特定の色が滲むように加工してみたら面白い写真になった。こういう暗がりに白っぽいピンクが散らばって面白い。肉眼ではこんなに視界を狭めて見ることが出来ない。どこをクローズアップするかで受ける印象が変わる。

でもココロのフィルターを通して人を見るときにはこの写真と同じ。
僕は僕の見たいように世の中や誰かをいつも見ている。


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疲れてくるとセピア色や白黒の風景に何だか癒される。
疲れたときに暗い音楽を聴くのも何だか癒される(笑)。
普段はバカみたいに明るい音楽が好きなんだけど今年は暗い音楽をよく聞く。
そのときどきの自分の状態に合わせた音楽が聴けることは幸せなことだとも思う。

小学生くらいのときに一番最初に気に入った曲はA-HA(?)のTake on meだった。
ピンポイントで懐かしがる方もいるかと思います。
あの暗いボーカルの声が気に入るということは当時の自分は疲れていたのかもしれません。


最近は長時間人と向き合う仕事が続いているせいでホンの少しの一人の時間に癒されます。
極端に走りそうになるともう一方の極が引き止める。
うまくバランスをとるように体が僕に話しているのかもしれませんね。


どんなに悩んでいても腹が減るように体はいつでも元気になろうとがんばってくれる。
それに気が付いてからは多少悩みの正体への恐怖が薄れていった時期がありました。

人と会って疲れるなんて失礼な話ですがそう思う自分が大切なので。
ときには人を軽蔑したり蔑んだりして大事な自分が生きている。

人のことを考えすぎると自分が軽くなってしまうから虚栄心でも自分は特別な存在だと思っている。
明るいだけだとただのバカだからあえて本当の嫌な自分を組織の中で表出させなくてはならない。
それで自分が楽になるなら是非そうするべきだと自分が自分に語っている今日この頃なのです。
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by bigbirdman | 2007-09-27 23:05 |
2007年 09月 27日 |
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山の端が水墨然として夕闇の早さ  

なぜか固定された過去を思い出す白黒の世界

音の無い 写真の世界



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枯れかけた木々の葉っぱ 端っこの方

いびつな木の実の 老化現象

でも 変わってゆく時間を意識することって 実際はそれほど無い



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アカイミズヒキ ユウグレハエル

登る斜面の踏み出す歩み 

呼吸を合わせて ただ流れ行く

堰堤の草花 夕闇の散歩道
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2007年 09月 26日 |
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ウロコ雲が立派になって 秋本番



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何にでも似合う懐の深さ、広さが ツユクサにはあると思う


飾らずに ただ在るもの
虚栄心と向き合う生活を続けていると そういうものに意味を感じる

でも 人は虚栄心なくして生きてゆけない

人間が自然とバランスをとると言うことは・・・

残念だけど・・・

けして自分が自然に近づくということでは無いと思う・・・
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by bigbirdman | 2007-09-26 02:08 | 独り言 |
2007年 09月 24日 |
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今日は、天気予報では雨の一日のはずだったが、予想が外れてムアッとした一日となった。
盛岡の母がお彼岸の墓参りで来ていたので、少し北の町にドライブに行き、ピザなどを食べた。
久しぶりの3人で、海岸に行き、いつものようにガヤガヤと賑やかに過ごした。

母と食い物屋さんに行くと、母は思ったことをすぐ口にするから僕は冷や冷やする。
今日もスパゲッティを頼んだときに、僕が頼んだ”秋鮭とミズナのパスタ”を「あんた、そんなの家でも食べれるんだから違うのにしなさいよ!」なんて、平気で言う。
そして僕は、(><)←こんな顔に本当になってしまう。
よめさんは自分のメニューに集中していて、こっちに気付かなかったみたいだし(^^;。

久しぶりに海のすぐ近くまで来た母は、風が強くて勢いよく波頭が立つ海面を見ると、
「こういう海は、泳いでいると口の中に水がガボッと入ってくる」
と言い、
「こんな海で昔よく泳いだわ」
と、よめさんが応える。

海の人繋がりの二人に少し遅れて、僕はボンヤリ聞いていた。


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風が丁度よく冷たかったから、日向に出ると腕まくりをして歩いた。
ほんの少しだけ汗をかいて、食後の散歩を終えて車に乗り込むと、みんな急に眠気がしてきた。

「寝るなよ・・・。」
「寝ないで~。」

運転手の目つきが怪しくなってきたようだ。
バックミラー越しに僕の顔を見ていた母が、
「お前、目つきがおかしい・・・」
とぼやいた。

「寝てねぇよ!」
「いや、半分寝てた」
「あたしも起きてて話しかけるから頑張って!」
「んなに心配か!」


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・・・それから5分もすると、二人とも寝ていた。。


家に着くと、3人で昼寝をした。
40分くらいで僕は起きて、仕事に行った。

一時間以上たってから、僕が仕事に行ったのに気が付かず、
「あんまり寝ると、夜寝れなくなるぞ!」
と母が僕が寝ていた方に声を掛けたときになって、僕が仕事に行ったことに気付いたそうです。
昼寝は良いもんだ。みんな熟睡していたようで・・・。



それから僕が帰ってきて、そのときはもう23時近かったので、母もよめさんもご飯を食べた後だった。
一日を細分化して、仕事と家族サービスを両立させること。
そのどっちつかずな時間の使い方からくる僕の不満は、家族が一つの家に住むことで解消される。・・・でも、フクロウ家はそれをしない。

お互い過干渉になるのを嫌っているのかもしれない。

それに、僕のいる町は、母にはあまりにも退屈な町だから。
でも、僕とよめさんは、この退屈なところが気に入っている。



ただでさえ長い夜を、テレビもない部屋で過ごすには、母はテレビに影響を受けすぎている。
でも、ようやくこの家のパターンに慣れてきたようで、最近はテレビの話を口に出さなくなってきた。少し前までは、歌番組が見れないことや、ミノモンタのことで口げんかしていた(^^;。

3人ご飯を食べ終わると、母は盛岡から持ってきた本をじっと読んでいる。

「おかん、何の本読んでるの?」

「細木数子さん。」

「あそう。」

シュッシュッシュ・・・。
よめさんが台所で、実家の両親からたくさん貰ったサンマを、圧力鍋で煮付けにしている。


それぞれが別のことをしながら、ひとつの家にいる。


・・・過干渉は嫌だけど、お互いがうまく同居できるんだったら。
やっぱり家族は一つの家で暮らすべきなのかもしれない。


今日のお墓参りで、墓石の横に刻まれた先祖の名前を見ながら、覚えている祖母や叔父の楽しいこと、ひょうきんだったことを笑いながら話した。
そうやって笑いながら、ジュワッとしたものがココロの中に込み上げてきた。
・・・お墓参りのときは、いつもそうなんだ(笑)。
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2007年 09月 21日 |
今日も残暑(?)なのか、、いや違うな・・・。
ま、まあ、とにかく暑い一日でした。

日中訪問ヘルパーをしているよめさんは、今日はすごく汗だくになって大変だったわと、放心状態になりつつ、僕が遅い晩御飯を食べているのを見ていた。

ちょっとの温度変化で、僕たちの体の抵抗力はガクッと落ちる。
じいちゃんばあちゃんたちは、それよりもっとくたびれる一日だったんだろう。

家が山の上に建っているので、大抵夕方になればこの季節は穏やかな過ごしやすい気温になっているんだけれど、昨日今日はトタン屋根のせいもあって、室内が暑い暑い。
やっと先ほどから、少しだけ涼しいかなと感じるようになってきました。

もう少しすると、カモがやってきて海岸線も賑やかになってきます(^^)。
なかなかバードウォッチングの時間も取れないけれど、いると言うだけで、そのことを知っているだけで、それを知らないよりはうんと豊かな気持ちになれる。

飛んで動くことが出来ない僕にとって、鳥のその生活をイメージすることで、濃縮した時間経験を与えてくれる。
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2007年 09月 20日 |
このごろは寝る時間が少なくなって、ブログ更新もままならない。
やりたいことがたくさんあるので、時間が足りない足りない・・・といっている間に、一日が過ぎてゆく。
困ったなぁ(^^;。

本当は、鳥に関する思いや文章をもう少し体系立てて、自分のホームページを作ってみたいんだけど、年内も出来なさそうな状態なので、これはゆっくり取り組めと言うことなのでしょう。

仕事がテキパキこなせない日は、どうしてもストレスがたまるものだけど、ここ半年くらいずっとそういう状態が続いている。そのせいで、何だか体が思うように動かなくなって、それに連れて自分のやりたいことが溜まってゆく。

自分をリセットしなくてはならない時期が来ている。
僕には、自分がまだ社会的には何も仕事をやっていなかった時期に、自分がやりたくても出来なかったことが、ずっと気持ちのどこかに残っているせいで、結局日常生活の目的が、それをやらないで済む理由探し。
それをやればどうなると言うものでも無くて、やってもいないんだけれど、多分”今の重さ”が違ってくる。・・・う~ん、ここはそういうブログだったかな?(←いえいえ、間違いなく、こういうボヤキ系のブログですね!)

そういう悩みは、よく”自分探し”という言葉に近いもののように自分でも思っていて、いまさら改めて自分探しも無いのかな・・・などと、ふと覚めてしまうのも事実なんだけど、現実逃避ではなく、理想主義的でもない、もう少し軽く、でも地に足が着いた視点で、そういう衝動で生きてみても良いんじゃないかって。要するに、そういう理由を探している。

精神的な閉塞感から、今出来ることを小出しにして、自分なりに趣味と仕事を両立させることは、とても大切なこと。その意味では、これまでは上手くこなしてきた積りだったんだけれど、春から忙しいグループに変わって、休みの取れない生活状況になり、それに対して自分がこれほど耐性が無い、ということにいまさら気付いて自分でも驚いている(ニガ笑)。

自分の感情を載せる風がまったく吹かない草原では、遠くの家の煙突からご飯の匂いが流れてこない。自分が何を食べているのか、だんだん感覚が麻痺してくる。そういうことなんだ。
結局、仕事が嫌いになりつつあるんだと思う。

そんな仕事やめてしまえ。
そう思いながら、新しいことが出来ない。
流れて生きてゆけるように、自分の選択肢を狭めないよう気をつけながら生きてきたのに、結局その壁は、自分の中にあったという、よくあるパターンに自分がはまっている。

自分のことを語る言葉がだんだん少なくなってきて、世界がつまらなく思えてくる。
そんな危険な状態に自分が移行しつつあることだけは、きちんと認識していよう。

それが今の最低限の自己防衛かな。


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by bigbirdman | 2007-09-20 00:29 | 独り言 |
2007年 09月 18日 |
今日は出張で北上した。
台風の雨がすごくて、河川の水位が尋常ではない。
普段は整備された河川公園の遊歩道が、すっかり冠水していた。
そこへ所在無げなカモメたちが集っていた。
それが何だか珍しくて、河川沿いの道を走る車が信号で止まるたびに、ドライバーの後輩が呆れるのも気に留めずじっと見ていた(^^;。

水位が上がって、川沿いの農園もすっかり水浸しになって、すくすく育っていたであろうナガイモのツルや、何かは分らないけど葉物の野菜もすっかりだめになっていた。
もったいないなぁ。そう思いながら見ていたけれど、いくら台風だからと言え、実が熟していないのに収穫することも出来なかっただろう。
変な言い方だけれど、取捨選択された必然の無駄というのもあるんでしょう。

どうすればいいのか分らないときに、僕たちは自然に任せる。
あきらめる選択肢の一つに、自然に任せるという要素がある。
そうなった結果に、自分をフィットさせることがある。

突き詰めればそうやって生きているけれど、それで良いと自分を納得させる理由と言うのは、それほど無い。その中で、自然には逆らえないとか、ある意味、運命なんだと思えるきっかけになるのが、この自然の力であることを僕たちは経験的にか伝承的にか、とにかく知っている。
こういう精神の発路が、僕たちを僕たち足らしめている。

多くの人たちが納得してくれる、本能的な理由をみんな意識することが出来る。
”自然には逆らえないことを共通認識している”、そして、そのことが共通認識であることを理解している。そういうsomethingの集合体が、日本の土台ような気がする。

それは、他者を理解したいという潜在的な切望なのか。
自分と言う無力な存在の、自己理解の置き場なのか。
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by bigbirdman | 2007-09-18 23:56 | 独り言 |
2007年 09月 15日 |
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庭の真ん中に一株だけ、彼岸花が咲いているのを見つけた。
今年は暑かったので、庭の草の勢いがすごくて、草取りをしていた時、その場の勢いで庭の彼岸花ゾーンも刈り込んでしまった。
そのことに後から気が付いて、「今年は彼岸花は見れないねぇ」・・・と、よめさんが言っていた矢先のことだった。種が風で飛んで、思っていた場所とは違うところに、ちゃんと芽が出ていたんですね。嬉しい誤算だった。

それにしても、逞しいなぁ(^^)。。

オレンジがかっているけれど、どちらかと言うと紅に近い。
触角のようにピンと伸びたシベの先まで、独特な情緒に溢れるステキな花ですね。

この花をお墓参りに使う。
お店で買うより安上がりで、400円得する。

この花と、やや終わりかけたサルスベリの花が、お彼岸でお墓に飾る花の定番になりつつある。

父親が死んで25年経った。
あれ!?四半世紀とは、この時間の長さなのですね(笑)。

中・高・大学に行き、就職して結婚した。
四半世紀が経っていた。

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サルスベリの花は、この家を借りてから、身近な木になった。それまでは、別に木にはそれほど関心が無かったから。

この木には、僕の中では宗教的な思いが詰まっている。
家の墓のあるお寺の境内には、すごく大きなサルスベリの木があるんだ。

そして、近所の親父さん。我が家の庭のサルスベリの、枝振りがあまりにもダイナミックなために、”こりゃあいかんよ”と、わざわざ枝打ちを申し出てくれたんだ。
やってもらったは良いけれど、”スポーツ刈り”でお願いしますと言ったのに、”五厘刈り”にされたときの床屋さんに対する憤りと同じ情緒で、あの親父さんに、文句を言ったせいで、仲が悪くなってしまったこともあったっけ(笑)。・・・今は、その親父さんも彼岸の方に行った。


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枝を刈り込んだと言えば、このアジサイもそう。
今年の春先に、思い切って枝をバシバシ切ってしまったところ、今シーズンは案の定あまり花が咲かなかった。
彼岸花を見つけたときに、ふとこのアジサイも見てみたところ、一つだけ、本当に一つだけ花が咲いていた。
この間の台風の影響もあるのかな。
アジサイって、水分条件が満たされれば、咲くのでしょうか・・・??


これから秋本番。
夕暮れが早いので、アンダートーンな花の写真もボチボチ載せてゆきたいです。
植物の名前はあんまり知らないんだけど、そのときそのときの自分の心象を載せて。

サルスベリが特別な木になったこと。
これからもそういう木が増えてくるはず。

ずっと一緒に生きていく、人間と木の関係。
そこに、自分固有の思い出や意味が増えてくる。

この側面から見る限りは、歳をとることって悪くないなぁって思うのです(^^)。
それにしても、四半世紀かぁ・・・。

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2007年 09月 14日 |
総理大臣が辞任したニュースは、仕事で出かけていた病院待合室のTVで知った。
肝心なシーンは見逃したようで、ニュースキャスターと、よくニュース番組にいる”政治部の○○さん”とのやり取りからだった。
連結椅子に座っていたおじいちゃんの隣に僕も腰掛けて、へ~って思って画面を見ていた。
たまたま昨日のニュースで、北海道のどっかの駅に来た犯人が、警察官とピストルで撃ち合いになったニュースをネットで読んだときに、よめさんに「あ~、明日あたり東京の方で何か政治的なウゴキがあるかもよぉ・・・」なんて、別に何の確たる根拠もなしに、でもまことしめやかに話した後だったので、何だかこの総理大臣の辞任とあのニュース、どっかで繋がっているのかも知れないなぁ・・・なんて、仕事をサボりながら考えていた。
でも、病院の隣のじいちゃんは半分居眠りしていた。それも分る。そうだよなぁ~。


政治なんて、遠い世界のことだ。
ただ、この距離感は、良くないことなのだろうか。。
僕の周りで毎日起こる色々な人たちとの出会いや、その悩み話や、施設に入所している高齢者の死のことやらで僕の一日は一杯だから、落ち着いて政治のことを考える余裕は無い。
子供たちと環境教育を楽しむことは、自分の中で優先順位が高いことだから、忙しくても意欲が付いてくるけれど、政治のこととなると、ただでさえ遠い世界の出来事を、どのようにすれば自分の手垢を付けられるほど身近な問題として捉えることが出来るのか、そう考えると自信が無い。正直、その前に思考が止まってしまう。

(いつもながら)うまく表現できないんだけれど、・・・例えば僕たちにとって最も身近な政治的行動である投票行為によって、特定の代議士の当落選という、結局、0か1かという意味の有無に帰結してしまうシステムによって、個人レベルでの政治に対する固有の考えや思考するエネルギーでさえ、○か×かの同様な、結果の有無に単純に区分けされてしまうのか?・・・という錯覚が、僕の場合、この思考停止状態と関連しているような気がする。
投票のことは民主主義に関わることなので、無邪気に言うには危険な表現かもしれないけれど、まああくまで話の上でと言うことで・・・(^^;。

かといって、他に何かしようと思っても、例えばどこかの政党の党員になると言うような、それをするにはすごく簡単では無い強い意思やエネルギーを要求されてしまう気がする行動は、そう簡単にはとれるものでは無い。

そういう無力感を避けるためには、”専門的なコトは、誰かが考えて良くしてくれるんだろう”って思うことも必要なんじゃないかなと思っている。というのも、モノゴトには、例えば僕が政治の話をしたってうまく説明できないように、表現適格または改良者適格というものが確かにあると思うからです。
だから、僕が言うこと(ひいては考えること)じゃないよな・・・って、何についてもそういう線引きをしてモノゴトを区分けする。今の世の中、(無責任なテレビを反面教師として)”言いたい放題言ってやろう”的なことが、出過ぎると冷ややかな目で見られ、遠慮されてきている気がする。
例えば所詮個人ブログのエントリーとしても、情報や意見ににある程度の確かさを付与しよう!っていう、暗黙のルールがあるから、ブロガーも自然と自分が不確かな、不得意なネタは、よっぽど勉強した後か、出来るだけ書かなくなってしまうんでしょうね。
そしてそれは、直感的に見れば、それだけこの世界が大人に成熟してきていることかも知れない・・・というのは楽観的過ぎるでしょうか??

やっぱり政治ネタの場合は、人並みには関心がある分だけ、自分のブログでは書けないよなぁって思うことがあって、”僕には表現できないや、ははは”と、敢えて切り離すことで、他の人のお話・意見をじっくり落ち着いて読めて、それに対する自分の考えが深くなるように思うこともあります。

でも、その気付きを記事に書こうとすると、文章が破綻しまくって、結局この記事のように何を言っているのか分らないになってしまう。要するに、文章にすることで言いたいことが逃げてゆくテーマもあるということなんでしょうね。。


それでも付け焼刃的なエントリーは、特に自分のブログでよく見かけます(爆)。こんなブログでも一応は、言いたいことの論理が破綻していないか程度は見直すのですが、、後から読むと・・・なんだこれ?っていう記事が結構あって、そういう場合は、また非公開に戻します。

でも、余計で蛇足だけど、政治ネタをブログに書くことのすべてを否定しているわけでは無い。
例えば、政治ブログで頑張っている普通の方々の記事を読むのは、すごく面白いし勉強になるし励まされる。だから、表現適格なんて嫌な書き方をしてしまったのですが、自分にはその気力と知識が無いと言う事実だけを書けば良かったことなのかもしれません(今日の結論)。

結局政治でも自然でも、どこから引っ張ってきても、自分の思っていることしか表現していないという感覚がある。なので、詳しくない事柄から引っ張ってきたとき、無知ゆえに表現の網の目からこぼれているものに気がつかないことが多くて、何度も見直すうちに最初に書いていたものがどんどん変形してくる。実際、この文章も最初に書いてから3日がすでに経っていて、まだ非公開状態のまんまとなっている(笑)。



要するに、総理大臣だって今日何かと何かを秤にかけて、辞任を選択したこと。
僕たちも今日の政治の出来事を見て、何かと何かを秤にかけている。
要するに、相似形。

政治家でも、もともとは普通の精神力で生きている、ということを、できるだけ自分に近いとこで共感したいのかも知れない。
仲間はずれがキライなんで、共感できる根底を意識して、”政治家も僕たちもみんなで生活を作っているんだ”・・・って出来れば思いたい。

だから、この時期に辞任だなんて、簡単には話の筋が通らないことだけど、それはそれで弾劾されるとしても、その根底に流れている人としての曖昧さを許容することは、自分の日常生活を省みても簡単なことだよなって、どうしても思ってしまう。

(でも現実として共感はともかく、この時期の辞任の本当の理由は、あとからどんどん明らかになってくるでしょうね。)

僕はそう言うことを思うがゆえに、ここまで書いて、人間同士の共感は認識した上で、”今の政治ってくだらない”と言います。。

誰がトップに立ったつもりでも、政治権力の目指すものが要するに政治家個人の利潤の追求である限りは、逆に僕たちの生活と共通項を強く持つだけに、それだけダメなんだと思う。
もっときちんと、みんなのことを考えてくれなくちゃ困るんだ。

今の首相がどうこう言うよりも、大きく捉えれば戦後の日本の政治はそういう政治だったんだと思う。世襲議員の多さが、それを裏付けているとも言えますしね。
(そうじゃない政治家もいることはもちろん想像できますが!)


そして、そんな自分の生活の範疇で簡単に認識できる、下卑た”お金欲しい”レベルで僕たちの生活との共通項を強く持っているであろう今の政治の世界に対して、僕の思想や生活の優先順序を越えてまで、関心を強く持つ気持ちにはほとんどなれない。それで結局困るのは自分なんだけどね。

自分の周りだけで十分なことを、最近はあまりにも、政治の世界で見せられ過ぎな気がする。本来のあり方を忘れたマスコミが、一緒になって大騒ぎしているのが原因。
どんどんテレビの世界が現実と遠くなって、丁度この距離感と、今の政治の世界に対する距離感は、僕の中ではきちんとシンクロしている。

その証拠に、何より、みんなの周りを見ても、もはや自分の生活の方が、規模の差こそあれ、よっぽどボランティア精神に溢れていたり、理想主義的であったりもするでしょう。。


それにしても、これからどうなるのか。。
ブログにはあんまり書かないけど、気にはなりますなぁ。

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by bigbirdman | 2007-09-14 23:13 | 独り言 |