フクロウくんのポンコツ的生活
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2007年 11月 30日 |
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2007年 11月 30日 |
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僕はこれまでも多分これからも、ずっとその都度、自分の選択に不満を引きずるタイプなので、必然的にベスト(最善)ということについて、考えこんでしまう。
あの時は何が一番良かったのかなぁ・・・なんて(^^;。

人から見える自分には、当然自分では見えない部分がたくさん含まれている。アドバイスは人から貰うもの。だけど、自分で見ている(そして伸ばしてゆきたい)部分の感性で生きていければ、どんなにか自信に満ちた生き方が出来るんだろう・・・なんて、空想に胸が躍る。チョイスは自分で選び取るもの。

ベストアドバイスは、生活のアドバイス。
ベストチョイスとは、何かと何かの折り合いの選択。
ベストは難しい・・・。



何かと何かの間とは、陰と陽であったり、積極と傍観であったりする。
生活の中に、”自分が望んでいる自分の姿”の片鱗が含まれていること。
そういうのが、自分にとってとても大切なことだと、今年は改めて思った。

子供たちと環境学習会をすることも無く、春先から忙しかった一年が終わろうとしている。
仕事とは関係のないところで自分らしさを模索するには、今年はちょっと忙しすぎた。

「生活のための仕事だもん、そういうことも当然でしょ」
「生きることとは、ときに不条理を受け入れてゆく作業でもあるんだ」
「将来必要なものって、今は軽く見られるものさ」
「お金に結びつかないじゃん」

「・・・。」←何もいえない。


出来る範囲でやることは、無理が付き纏わない分だけ豊かに見える。
自分が伸び伸び付き合える。
でも今回、多忙を理由に、継続して関われなかった。当然、今年の環境学習会において、去年遊んだ子供たちの今年の成長分を、僕は見ることが出来なかった。

一緒に成長するために、多くの仲間との出会いや、時間がそこに存在している。
多くを求めないって大切なことだけど、今年はあまり良い一年じゃなかったなぁ。


まだまだ、いつまでも自分を掴みきれないポンコツ生活の中で、精神的に沈んでゆく自分と折り合いをつけるような、ベストアドバイス(?)も聞かされた。
もちろんアドバイスをくれる方の善意は身に沁みるけど、アドバイスもまた難しい。

ベストチョイスが出来る前提で、ベストアドバイスは生きてくる。
ベストチョイスが出来ない環境で、ベストアドバイスは無い。


自由に決めれる時間の余裕を持てることが、自分の中では優先度の高いことだった。
窮屈な狭い場所に閉じ込められて、半ば半狂乱になりながら残業を続けた時間の代償に、今の自分の立ち居地を教えてもらった。

どのような自分が、人と関わりたいのか。
大切だと思うことを伝えることとは、伝える内容が大切なのではなく、伝える相手が居て、伝える時間があることが大切だという、そんな当たり前のことを考えた時間だった。





町内会役員などで、多くの人と関わっている知人がポツリと言った。
「(越してきて初めて出会った人に)今日名前を読んでもらえて嬉しかったヮ」

名前を呼ばれて嬉しかったのは、あなたが人と関わりたいと思っているから。
だけど、どういうあなたが、その人と関わりたいと思ったのかなぁ?
などということに関心があった。

たまたま、若くして親を亡くして育ったその知人が、引っ越してきてすぐに親を亡くしたその人に、何を共感の根に持って接したのかということや、一番シンプルな立ち居地で、つまり心の動きとしてただ純粋に、人と出会える嬉しさを感じ、その喜びを伝えてくれたことが、何だか僕にはすごく嬉しかった。「そうだよな、知り合うことは嬉しいことなんだよな・・・」って。


自分がつらいときや迷っているときに聞く言葉とは、本当は、ベストであるかどうかなんて関係無い。勝手に僕が感動するわけだから、それは聞くべくして聞かされて、聞くことに必然性がある。だからその知人に、何も衒(てら)わない、素な自分を見せてもらえたことに、僕は嬉しさを感じたのかも知れません。


人と人の交感でさえ自然の作為が働いていて、それは作為なんていう言い方がまったく相応しくないほど素直に自分の中に入ってくるのなんだ。
迷っていても、自分が感じたいようにしかモノゴトを感じることができず、結局それによって生かされている。・・・そういうのって、森や動物、自然の中でよく感じる。

そしてそれは、幸せに属する。


今年感じたストレスは、いつか何かに結実する。
ベストチョイスでいつまでも迷いながら生きるのは、単に自分の性格の問題なんでしょうね(^^;。
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2007年 11月 24日 |
昨日の大雪を受けて、今日は早くも冬タイヤにタイヤ交換をしなくちゃ!
と、愛車を駆けて湾岸線を北上する。

走る先、走る先。
ガソリンスタンドや自動車整備工場から、あふれ出さんばかりの車、車、車。
やっぱりね。みんな同じことを考えていたようで・・・(^^;。

タイヤ交換は夕方にして、しばらくぶりに一人海を眺めにドライブした。
それにしても、石油製品の値上がりは、これからの僕たちの生活にどういう変化をもたらすんだろう・・・?そういうことを考えながら運転していた。

灯油が一缶1,700円にもなる。
うちのファンヒーターは5リットルのタンクだから、一缶(18リットル)で3回と半分。
一回給油して2日間くらい持つとして、1,700円で丁度1週間。
一ヶ月で6,800円灯油代が掛かる計算になる。

去年もじりじり上がって、一缶1,550円くらいになった。
その前年が比較的安価で落ち着いていて、たしか800円弱だったように記憶している。
だから、その頃と比べると、月額3,600円も高くなったんだ・・・。

うちは冬場の暖房器具は、コタツと電気ストーブと灯油ストーブが2台。
でも3部屋のうち、普段は一部屋しか使わないから、大抵灯油ファンヒーター一つで済む。
だから、まだ節約しているほうなのかも知れない。
これが2世帯住宅の方や、子供部屋とかもある方の場合は、月の灯油代だけで1万円は軽く越えてしまうんだろう。

地球温暖化の観点からは、化石燃料である灯油を使うことで、大気中の二酸化炭素濃度が上昇する。その結果、温暖化が進んでゆく。
でも、これが電気に代替すると、温暖化の上がり方がやや抑えられる。
燃料が電気と灯油では、単位熱量あたり燃焼させたときの二酸化炭素量が違うから、そういう結果になる。
そう思うと、今回の灯油の値上がりが起こった結果、灯油依存から電気依存に変わりつつあるとすれば、そうやって地球を暖めないように注意を促されているような気もする。。

「ああそうか。それならそれで良いものかもしれないねぇ母さん」

なんて気分の落としどころを見つけたような気になって別の冊子を読んでみると、地球を非常に長いスパンで見ると、現在は氷河期に近づいている時期だともいう。

温暖化のことは、一体どこに僕たちの生活意識を持って行けばよいのかが、いつまで経っても判然しない。

急激な気候変動が悪い。
地球が暖まり平均水位が上がることが悪い。
平均気温の上昇で、有害虫が今まで生存できなかった地域に侵出してくることが悪い。

でも、それに対して僕たちは何を注意すれば良いのだろう。
効率の良い電気ストーブを新調すれば良いのでしょうか。

結局、灯油の価格の上昇は、僕たちの生活に何をもたらすのだろう。
市場の好況に後押しされて、電気ストーブの技術革新でも起こるのだろうか。
それとも、灯油高を避けてみんな単に電気ストーブに走って、その結果、電気企業が利潤を得てハイおしまいなのだろうか。

戦争や環境ブームによって、ある特定の事業体が儲かり、その利潤の一部が再び戦争や環境ブームに流れてゆく。その狭間にある、普通の僕たちの生活レベルがどんどん落ち込んでいる。アメリカの元副大統領が温暖化問題を危惧して、啓発VTRを作成する。だけど、現大統領はアメリカ石油企業系統。
灯油に限らず、最近の政治の与野党なんかでも、こういう本末転倒的マッチポンプ的な「開いてみたらどっちもクロ」という下降スパイラルが、みんな普通になっちゃっている。
それを見て僕たちも何だか滑稽であり、何より悲しいものだなぁって。
自動車の二酸化炭素を吐き出しながら、僕も考えている。


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昔の人間は、動物のように暖房も個室も無く、この寒空のした、身一つで生活していたんだろうか。せいぜい地下の洞穴くらいの居住環境で、温度ストレスにさらされながら、焚き火の暖でこの東北の冬を過ごしていたんだろうか。

今でこそストレスって言えば、対人関係ストレスがパッと思い浮かぶけれど、当時は寒さの環境ストレスが主流であって、場合によってはあっさり凍死したりしていたんだろうなぁ・・・。

暖かい部屋の中で、地球に悪いと知りつつ生活している。
別に普通のことだ。
環境に良いから、自分の傷病リスクを上げてまで暖房使用を控えようなんて、誰も思わない。

ただ、今度の灯油の値上がりは、経済的問題なのでこれまでとは少し違う。
値上がりなんて、いつでも何でも嫌なものだとはいえ、この800円から1,700円の価格帯で、これまでの生活に変化を起こさないと生きてゆけない人たちが確実にいるから(フクロウさんち)。

だから、これがどういう変化をもたらすんだろうって、関心がある。
こういうのって、すぐには分からないだろうけど、あとから何かに繋がっていたことが分かる。

化石燃料自体の枯渇間近の現在において、価格が上がるのは当然のことかもしれない。
そういう意味では、数十年前のオイルショック時とも似てこそ違う、ひっ迫したリアルとしての、時限つき環境問題の実感が立ち上がったような気がするのです。


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イタドリの種を食べるベニマシコ。鳥たちは、部屋を暖めることはない。自分で食べて、その熱量で自分を暖める。そして、自分の身一つで気温変化に適応している。なんて素晴らしくシンプルな生活様式なんだろう。
まずは簡単に、衣服を一枚余分に着るところから、暖房使用量を抑えよう。

環境啓発ブログ、フクロウくんのポンコツ的生活

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2007年 11月 24日 |


10日ぶりの更新となりましたが、朝晩の冷え込みが厳しく・・・なんていってる場合ではないですね、この寒さは!


11月20日に雪が降ってきた。
最近では、・・・う~ん、記憶に無いくらいの早さだと思います。
大陸寒気団のお早い行進のようで。・・・・・・キミ達、もう帰って良いよ(ーー;。

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今日も午後3時頃には海岸沿いの国道の温度計で-1℃を記録していました。
なんともはや・・・って感じです。


今日はというか最近は、自分のブログに手をかけられない日々が続いておりました。
今日もそうですが、僕の場合、夜の11時過ぎ頃から書き始めるので、どうしても1時を廻ってしまうことが多い。
ここ半年間は仕事の作業量が、多いときで昨年よりも月の残業時間で60時間以上は増えているため(もちろんサービス残業ですが)、いよいよブログには手が廻らなくなってきてしまっています。
そんでも、10日に一度でも、書けるときに更新しますんで、よろしくお願いしますm(_)m。
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2007年 11月 13日 |
週末の大雨の後、隣町ではオオミズナギドリが市街地に迷い込んでいたり、国道沿いで10羽弱が飛べなくなって保護される出来事があった。

海鳥はたまに、こういうことがあるんだ。
沖合いが荒れ模様になったり台風がやってくると、多分、餌が捕れない時間の長さに比例して落第してしまう個体が増えてくる。
町で暮らしているだけじゃ通常見ることが出来ないような鳥が、港近くの商店の路地の隅でうずくまっていたことが、僕が見た中でもこれまで何回かあった(でも2回くらいかな・・・)。

オオミズナギドリは、毎年三陸沿岸の孤島で繁殖している。
その調査に縁あって参加させてもらっている関係で、僕もお手伝い程度にはオオミズナギドリのことを知っているつもりでいて、この鳥のことを人から聞かれれば、その繁殖時期や見られる時期ぐらいは答えることは出来る。ただ、今回の嵐みたいに、天変地異に反応したのであろう鳥の行動や結果には、ちゃんとした理由が分からないし、大きなものを前にした生きものの無力さを感じる。

集まって生きている理由。植生や外敵からの遮蔽具合、そういった環境条件の中で、何が一番重要といえるのか。こういうことを地道に仮定立てながら、研究者達は日々試行錯誤で研究を重ねている。

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                                          マガモもいろいろ考える


その日によって気分が高揚したり、反対に精神的に落ちていたりを繰り返しているとき、自分をもう少し長い時間軸で観察してみると、ある方向に向かって大丈夫、ちゃんと生きている、そう思うことがある。
その反対のときもあるけれど、そのときは気付かなくても、もっと長い時間軸で自分を見てみれば、あとからやっぱり大丈夫な気持ちになれる。

そんなすんげえ楽天的な考え方だけど、太陽がエネルギーを放射し続けて命を育んでいるっていうことだって、いつか太陽でも寿命が来れば終わりを迎えるそのエネルギーの有限性(どれだけ将来の話かはさて置きまして・・・)というものが、そのまま自分の命の有限性とも共通する繋がりを持つ。地球が自転して満遍なくエネルギーを隅々まで行き届かせるように、出来れば僕たちは自分だけじゃなく、たくさんの人にハッピーになってもらいたいって思っている。風が吹いて気持ちいいなぁって思うように、遠く離れた人のココロに思いを馳せることができる。

何か嘘臭くなってきたと思ったら、ちょっと格好つけた表現が続いておりました(^^;。。



自分のココロや体の中を、自己完結的に観察し続ける作業は、どこかの時点でなんとなく自然現象と結びつくことがある。自分を包んでいる世界と繋がっているんじゃないか、って思うことがある。朝が来れば起きるから、精神活動はそもそも日周期と連動していることをスタートとして、気温や降水量や風速によって僕たちは嬉しがったり残念な思いをしたり、クルクルと風が巻き起こす乱流の中に居るみたいにして、毎日暮らしている。

それに分度器を当てて、ある角度で編集することで、自意識は育っているような気もするのです。
そしてその角度こそが、生命力の正体のような気がするのです。

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                                          カワラヒワが葉っぱを真似てたたずんでいる。


それにしても、この嵐の後のオオミズナギドリ。どうしてこんなことが起こるんだろう。
嘆くよりも意味を考えてしまう。

答えなんて無いただの現象を前にして、”自分が共感(納得)する”という変形した答えを導き出そうとしている。
どう共感すれば、自分の腑に落ちるのか。
その角度は力強く、明るく、たくさんの人を元気付けることが出来るものか!?←う~ん、どんな角度だろう?

とにかくそんな、今すぐには分からない種を拾ったような気がする。


オオミズナギドリ。
帰る島を間違えたから、俺と同じ方向音痴なんだね!

・・・なんて共感の仕方じゃ、ちょっとなぁ(^^;。
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2007年 11月 12日 |
この週末は、大変な大雨でした。
雨の日は鳥も飛ばない。
鳥たちは、地表の植物の種を食べたり、藪の中でジッと晴れを待っている。
うっかり僕が近づいて、ビックリした鳥を藪から飛び出させてしまうと、まさにやぶ蛇となってしまうから(orz)、こういう日はポンチョを着て堤防沿いを少しだけ歩いて終わりにすることが多い。

最近は、とみに体力が落ちてきているけれど、特に何かしようという気力も沸かない。
今月末にもう一つ仕事の山場があるため、連日残業続きだからどうしても休みの時間は、家で昼寝したり起きれば、飯を食ってばかりいる(^^;。


さて、この雨の中、カルガモの集団が農地脇を走る舗装路沿いで集団行動をしていた。
車でゆっくり後をつけても、これだけの大集団となるとみんな気が大きくなっているのか、こちらを無視してマイペース歩行。

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カルガモは、一応”留鳥”という分け方に分類されてて、季節移動をあまりしない鳥ということになっている。でもこれだけ大集団だと、多分渡りの途中でしょう。留鳥といっても、中には季節移動するグループがいる。考えてもみりゃ、そうしないとどんどん一つの地区にいる集団が大規模になっちゃうし・・・。
ほんの5メートル先の休耕地にいたカルガモたちも同じグループだと思うので、併せると50羽以上は軽く居ましたね、はっきし言って。
こんなにたくさんでいるのを初めて見てしまいましたよ。顔中雨で泥だらけにしながら、そこらへんの地面をほっくり返しておりました(^^)。

歩き方が愛嬌があるんですよね。

見慣れている鳥でも、この時期には知らなかった一面を見せてもらえる。
そういうところからも、生きている感動を分けてもらっている。
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2007年 11月 08日 |
日中の晴れ間が、打って変わって夜間の寒さを連れてくる。
温められた大気に含まれる熱エネルギーが、夜になると一気に上空へと持っていかれる。

いっそ、曇り空が続けば、夜もこんなに寒くはならないのに・・・などと思うくせに、見上げる空に星が綺麗にチラチラしていれば、これも良いなぁなんて。
いい加減な自分であります。


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上流から流されてくる枯葉が、川の流れに舞っているみたいに見える。
この枯葉も河口に堆積して、岸辺の植物たちの養分となる。
滋味溢れる上流の森林からの届け物。少し早いお歳暮かな?

このときの川の流れとは物質を循環させるチカラであって、そのチカラにしたがって木の葉が流域全体へと流れつき、やがて土壌となるから、石のゴツゴツしたような川原の一角に一本の植物が生きることができるようになる。
それは、アザミかもしれないし、アメリカセンダングサやイタドリかもしれない。
その植物を食し、種入りウンコを垂れることで、鳥はもっとドラスティックに彼らの生息範囲を拡散させてゆく。

生きることや、命もまた、物質を循環させるチカラなんですよね。


大都会のように、目に映る景色が四角い人工物に浸食され始めると、日常生活の中でこの丸い物質循環(自然)へのイメージが薄らいでゆく。

時間っちゅうのは、循環してゆく過程そのものであり、その過程に含まれる人生の出来事が、どのように優しさや深みに置換されて行くのかを見つめることそのものでもある。
時間を早い遅いといったスピードの感覚で捉えすぎてしまうこと。
四角い都会に馴染むと忘れてしまう、丸い風景。

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多分ほんの数百年前には、どんな一塊の土くれからでも繋がって行く、大らかなストーリーを感じながら生活してきた僕たちの先祖の感覚を、少しでも身近に感じられるような気持ちになれるだけでも、こういう田舎で生活することに価値を見出す。

都会育ちのクセに思考速度が遅い僕にとっては、最近の忙しすぎる時間の中、車で30分も走れば丸い世界を感じることができるこの地は、住みやすい環境であることは間違いない。

だからといって、都会だってもちろん悪いものではない。
何処でだって、何歳であっても、自分が成長してゆく過程で人生観も成長してゆく。
ただ、そのとき自分が居る場所で、その風景や環境を取り込んで成長してゆくものだから、
都会よりは生きていることを共感できる風景に近いこの場所で、僕は僕の人生観を成長させたいって思っているわけです。


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・・・という風に、いっそどこかへ旅に出て、仕事から現実逃避したい自分に言い聞かせています(^^;。
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by bigbirdman | 2007-11-08 02:15 | 独り言 |
2007年 11月 05日 |
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この週末は暖かな週末だった。
朝方の冷え込みもそれほどではなく、早朝のマイフィールドでの散歩は快適だった。
空も刷毛を引いたような雲。



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それでも山肌の紅葉は、寒さを伝えているよう。
寒暖の差があると紅葉はとても綺麗になるらしい。
今年の紅葉は、去年よりずっと良い。よめさんはこの山肌を見て、セーターの模様のようだわと話していた。僕はわかるような、わからないような気持ちだったけど。



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この空を、今が盛りと多くの鳥たちが南へと渡ってゆく。
鳥は飛びながら、空を見上げることがあるのだろうか、ふとそんなことを思った。


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マガモ(多分)
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カモメ(いろいろ)
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アオサギ(脱力系)




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オオセッカ

藪から変わった声がしたから、中にそおっと入ってゆくと、珍しい鳥がピョコッと顔を出していた(^^)。
この鳥の仲間は、ヨシ原や藪の中を通りながら、南へと渡ってゆく。
大空を羽ばたくことはあまり無く、地表を這うように移動してゆくんだ。




鳥もいろいろ。
見上げる空に映る鳥影は、いつでも自分の憧れを載せて羽ばたいてる。



だから、人もいろいろ。




何が言いたいのかよく分かりません(笑)。
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