「ほっ」と。キャンペーン
フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
<   2007年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧
|
|
2007年 12月 31日 |
e0029553_21141498.jpg


More
[PR]
2007年 12月 24日 |
帰りました。
いやー、久しぶりの東京は、冬とはいえ暖かかったです。
岩手とこんなに違ったっけかな・・・。

e0029553_2215329.jpg


それでも東京は、思ったほど変わっていなくて、ホッとした。
結局、最終日に3時間ほど自由な時間が出来たので、その時間に行きたいところを歩き倒した。
お蔭で帰りの新幹線の中で、むくんだ足をさすりさすりしていたところ、つい眠り込んでしまい、あっという間に岩手(北上駅)に到着してしまいました(笑)。
北上の寒かったこと寒かったこと・・・。
体がこんなに冷えてしまうなんて、こりゃ食文化も違うわけだよなと、ひとり納得してしまうひとコマでもありました。

僕が育った町を5年ぶりに見て歩いて、5年分だけみんな歳をとっていたこと。
葉っぱが毎年生まれ変わったり、髪の毛が毎日生え変わったりするように、本当は懐かしいこの町も、日々循環しているはずなんだけれど、もう離れてしまった僕から見れば、場所も人も5年分だけ時が止まってしまっている。
だから、昔から残っている者達がその時間分歳をとっていた。

昔からお世話になっていた電器屋のおじさんに会った。
やっぱり、僕が今どこに住んでいるのかを思い出すのに苦労していた様子だったので、この10年間くらいの僕の人生を伝え、変わらずに元気でいると話した。
母は僕が就職してから岩手に帰ってきたので、この電器屋さんには、家電の修理からお得な製品の紹介まで、大変お世話になった。
ちょっとした修理でも、時間を見てはチョコチョコっと直してくれるので大変ありがたかった。

一つの町に住み続けるということはそういうことで、地域の小さな電器修理さんがその家庭にとって、生活の一部として機能し始める。
東京は本当にいろんな特技を持った人がたくさんいるから、看板出して地道に商売していれば、自然に顧客が増えて、すっと溶け込むように周りの生活とくっ付き始める。
こういうのは、一次産業が多い岩手では、昔はあったのかも知れないけれど、今は消えつつある。・・・でもどうかな。よく見れば、田舎の方がそういう傾向は残っているのかな。保留ですね。


e0029553_22301081.jpg


新しいものは建物ばかりだけど、意外と建物は昔のままだったことにも驚いた。
昔遊んだ友達のアパートや長屋が、そのまま残っていた。
平日で仕事に出かけているのであろうその古い長屋から、昔のまま友達がひょこっと顔を出しそうで、なんだかジーンとした。

今はカナダに住んでいる幼馴染の家に行くと、老婆が玄関から偶然出てきて、
「どちらをお探しですか?」
と丁寧な口調で僕に尋ねた。

(ジュンサーのばあちゃんだ!)
僕は、とうに80歳後半以上は軽く越えているであろう幼馴染の祖母が生きていたことにびっくりした(^^;。

「いえ、僕はジュンくんの小学校時代の同級生で、今は・・・・」
と、いろいろ説明したような気がするけれど、

「ああ、ジュンの友達なのね。ジュンはいまここには居ないのよ。」
と、要点だけ掻い摘んで僕に説明してくれた。

(う~む、認知症ではないな・・・)


続いて、母校に向かった(小学校です)。
よくエッセイや漫画でも、大人になると小学校の校庭が狭く見えるという行を読んだことがあったけれど、やっぱりその通りだと感じた。
僕がサッカー部時代に、光化学スモッグにも負けずにジョグした小学校の校庭は、今の僕から見ると小さかった。当然30も過ぎれば、児童の立場、先生の立場、学校運営の視点、そういった見方の違いが自分なりに理解できるようになっているから、小学校という建物の中で毎日繰り返される営みが、昔よりは細部まで認識できるようになって、その世界そのものは小さく感じるようになるんだと思う。小さくなることはつまらないことかもしれないけれど、その分つまらないと思えるものを楽しむことは出来るようになるんじゃないかなって、ちょっと考えた。


e0029553_22341377.jpg

小学校時代よく野球をした公園。ちなみに今日は、ここの近所の保育園の子供たちがミニ遠足で遊びに来ていた。そして、僕はその保育園のかな~り古いOBでもあるのでした(^^;。
こういうところは変わらないんだな・・・などと、可愛い園児(いや、先生の方か・・・)を見ていました。



e0029553_22445597.jpg


ひととおり町を歩いて、ホントはまだまだ足りないけれど一応満足したということにして、高校からずっと通っている馴染みの喫茶店に足を踏み入れた。

っつっても、ここはいつ来ても変わらないんだ。
バイトさんが僕より一才歳上のY子さんから、知らないおねえちゃんに変わっていたくらいかな。
Y子さんは、違う仕事に就いたとのことだった。あまり深くは聞かなかった。
ここは小学校の同級生が多い地区なので、違う高校に行った友達がよく集まる場所で、僕も岩手に来た大学生になってからも、盆暮れの帰省時にはいつも滞在して、次々やってくるカフェ好きの同級生たちと旧交を温めたんだ。

「あら~、今回は久しぶりじゃない!」
「5年ぶりだよ~」

なんて、ママさんもご機嫌になってくれた。
コーヒーの味も変わらなくて、美味しいコーヒーだった。

「コーヒー美味しい。」
「コーヒー美味しいでしょ。」

なんて、ステキな会話をしてきた。
・・・のも束の間、ママさんの姑さんが認知症がひどくて、施設入所させているんだけれど、施設から徘徊がひどいので退去を迫られているとの悩みの話が出てきた。

「え~、認知症の施設なんでしょ!?あんまりだだらぁ(ひどい)!」
「あんたやっぱり訛ったわねぇ。そうなの?ひどい施設なのかしら?」
「かなりひどいと思うよ。要介護認定受けてるんでしょ?ケアマネさんに相談した?」
「あ、ケアマネさんね!そうかそうか。ちょっと、今電話してみるからまだ帰らないでね!今日、ずっと居るんでしょ?」
「なんか、そうしたいけど今日帰るし、電車の時間があるからあと5分くらいで帰らなくちゃダメなんだ。」
「ありゃ~残念ね。・・・そんじゃさ、何すれば良いかちょっと紙に書いておいてよ!」

といった感じで、何だか仕事の延長のようなこともしたくらいにして・・・。
やっぱり、たかが5年、されど5年ですね。自分は変わらなくても、他の家族は5年で十分変わってゆく。70歳と75歳は、人によっては大分違う。
ママさんは相変わらずパリッと良い仕事をしていても、同居している家族はいつまでも同じとは限らない。ママさんのところは、籍を入れていない夫婦だから、本当によくやっているなぁって、感心する。
こういうことで、反対にこっちが元気を貰う。


「もうね~、これ(施設入所)が片付いたら、アタシ店畳んでどっか外国で暮らすわ!」
「ホントだよ。そうしな、そうしな!」


e0029553_2371479.jpg

僕が物心付いたときには生えていた公園のケヤキ。30年経って、どのくらい大きくなったのかな・・・。この木の下の滑り台で、セバスチャンという名前の小さな子が頭から滑り降りていた。外人のお母さんが、困ったように何か英語で話しかけて僕の方を見て笑ったから、僕も笑った。
この町もインターナショナルになったなぁ(爆)!



お店を出ると、日差しが暖かだった。
ママさんは辞めたいって言っていたけど、あの喫茶店があれば僕もまだ東京で暮らせると思った。
生活臭のある会話が出来たり、昔から僕のことを知っている人がいてくれたりすることは、その土地が自分の故郷であることの証明になるような気がする。
そして、”自分の故郷だから”ということは、そこで生きる立派な理由にもなりえる。

今の僕が、もし仕事を辞めて東京で暮らしたいといったら、よめさんは何て言うかな。
よめさんにとっては、岩手のこの町が故郷だけど、彼女は僕より精神が数段強いから、生活する理由なんて、別段考えないかもしれない。それが健全だとも思うし・・・(^^;。・・・いや、まずは職探しか。orz


なんだかんだで、やっぱり東京は良いなぁって。
そう思います。
[PR]
2007年 12月 17日 |
フクロウめは、明後日から東京に出張となりました。
思えば東京はもう5年近くご無沙汰となっており、おそらく電車の乗り換えも覚束なくなっていると思います。
2泊3日の行程で、少し時間が出来るので、あちこち見物に行けるかなと楽しみでもあります。

余裕があれば自分が卒業した学校を見てみたいし、予備校時代に通っていた喫茶店もまだやっている。東京はあまり好きじゃないはずだったんだけど、5年も経つと好奇心の方が勝っているようだ。

大人になるに連れて、生活の場が変わる。
僕はどういうわけだか、少し前の住処にはやや抵抗がある。別に嫌な思い出があるわけでもないんだけど。でも、5年経ってそれが薄らいでいる。

僕が育った町に行くと、たまにすれ違う程度で、あまり言葉を交わすことも無かった当時の近所の人が、きっと今でも住んでいる。ひょっとすると、その人は僕に気がついたとしても、僕が岩手に住んでいることは知らない。
だから、きっと僕も挨拶はしない。・・・いくら懐かしいとはいえ、僕が急に一方的にフレンドリーになったら、何か変だし(^^;。そこはやっぱ、・・・東京だし!

もし住み続けていても、ほとんど言葉を交わすことが無かったであろう人たちが住んでいる。でも、僕はその人を知っている。今の岩手の生活では、当然すれ違うことも無い、まったく袖すりあわない、接点の無い昔の僕の生活の場を垣間見る。15年前、確実に僕が暮らしていた場所を訪れる。
不思議だなぁ・・・。
今では思い出せないことも、そこに行くと思い出したりするのかな。


5年という期間で、自分を振り返れる(そんな大げさでもないか・・・)くらいの変化が、自分の中で起こっているような気がする。今暮らしている町とは素材を代えて、自分の何が変わったのか。そういうことを感じてみたくて、今回の東京行きはワクワクしている。
行く前に勝手にワクワクしているだけで、何も感じないこともあるかもしれませんけど。

e0029553_0535173.jpg


小さいカメラを持って、東京さ行って来ますね。

岩手に暮らして約15年。
立派なおのぼりさんになりました(^^)!
[PR]
2007年 12月 15日 |
あやうく、タイトルに”週末ウィークエンド”と書いてしまいそうになりました。
何となく語感で文章を書いていると、後から読んで何書いてんだろう・・・とギャップに苦しむことがあります。

さて。
先週末の休暇のお蔭で3連休明けだったこともあり、今週の前半は余力があったのですが、昨日あたりから失速して疲労を感じています。気付けば、もう師走。溜息ばかりですが、何とか今年も乗り切れそうです。


年賀状の住所録のデータ加除や、文面作成をしたり、忘年会シーズンに突入したりとみなさまも忙しいシーズンと思います。
なんか毎年思うのですが、正月をのんびり過ごすために、あわただしくなってしまう。
どうせ毎年同じことをするんだから、もっと前から準備しておけばよいのに・・・と自分の怠けに呆れつつも同じことを繰り返してしまいます。程度の差こそあれ、みんな同じなのかな・・・。


年賀状の枚数で付き合いの幅が分かるのも、この時期の特徴(?)ですが、家はよめさんのほうがたくさん年賀状を書きます。それでもせいぜい100枚くらいなのですが、僕は50枚くらいしか書きません。そんなことで、例年僕の倍の枚数は準備するよめさんの付き合いの幅には感心します。


毎年何の写真を使うかや、文面デザインで悩むのも楽しいものですね。
でも一番面白いのは、貰ったはがきに書いてあるひと言書きを読むときです。
”また飲もうぜ!”
とか、
”○才になりました”
なんて、写真にひと言書いてあるだけでも、読むとホッと和みます。

ただここ数年は、ひと言コメントの無い、プリンタで印刷しただけの年賀状が増えてきているかな・・・。おやまあ意外と、50代くらいの年配の方からのものでもそういったのが増えてきているのが、弱冠気になったりしています。
あれは、印象があまり良くないですね。自分は出来る限りそういうことはしないようにしたいと思っていますが。


あと、年賀状でよくあるのは、こちらがノーケアだった(つまり年賀状を書いていない)知り合いから届いてしまって、正月になって急いで書いて投函するとき。
はっきりいって、あれは気まずいですな(^^;。
正月明けってあまり日が無いから、それが仕事仲間だったりすると、投函してもその方に届かないうちに職場で会うことなってしまう。
フクロウは小心者なので、正月明けでそういうときは、トイレ以外は職場の部屋からなるべく外に出ないようにしたりします。
そんで、そういう気まずい思いをした相手に対して、前年の教訓を生かして今年はちゃんと年賀状を送ったりすると、今度は相手の方が僕に対してノーケアだったりする。だから、慌てて正月3日辺りに年賀状が届いたりするのが、何だか日本人らしいよな・・・って思います。


どちらかといえば狭い交友関係なのですが、酒が好きなこともあり毎年5回くらいは忘年、新年会にお呼ばれします。でも歳が上がって、だんだん飲めなくなってきました(汗)。
体力的に厳しくなってきたり、飲み会に若いメンバーが増えてきたこともあるので、あまりハメを外せなくなってきたというのも少しはあるのですが、その一番の理由は、飲みすぎそれ自体を自重している面よりは、最近の若い人で滅多に酒飲みに出会うことが少なくなってきたことがあると思います。

10年位前の僕らが若い頃は、鳥見(バードウォッチングのこと)をする奴らは、失礼ながら、どうしようもない酒飲みばかりだった。二日酔いで具合を悪くしながらも、望遠鏡を抱えてがんばって歩いて、鳥を見ようとレンズを覗き込んでは、ますます具合を悪くする。
そういうのがステータスだった。
でも、最近の鳥仲間との飲み会は、夜11時くらいになると、

”じゃ、明日朝早いから寝ようか♪”

”うん、そうだね。明日は何が見れるかな?ベニヒワ見れないかな~”

なんて、ヘルシーな会話が普通に出てくる。

”ヤイ、おめえら!ボーイスカウトのさわやかキャンプじゃね~んだぞ!”

・・・なんて、小声で言いたくなるときもありますが。でもね、そう言ってしまうと嫌われそうなので、

”ははは、みんな熱心だねぇ!”

なんて、良い人になりますよ僕は。モチロン。
・・・ま、別に良いんですけど。

ちなみに昔、僕らの場合は、

”ゲー、もう3時過ぎじゃん!”

”もうね、寝ると起きれないからね。”

”朝探(「朝の探鳥会」の略)終わったら寝りゃいいんじゃね~か?”

”んだなぁ、んじゃあ、これ飲んじゃおうか!”

”おお!”

なんて、3時過ぎからボトル開けたりしたものです・・・。
そんな、しょっちゅうではないですけどね。



とかとか書きつつ、僕も基本的には酒や年賀状なんて、別にライトになれる部分はライトでいいと思います。
ただ、そんな中にもガツンと個性の強いというか、アクの強い奴っていうのが、かつては僕の周りにチラチラ居てくれて、そういう奴の楽しさの味をそれなりに知っているので、なんか最近はそういう思いもしなくなってきたなぁ・・・と少し寂しいような気がしてるのも事実だったので、何となくこんなことを書いてみました。

アクの強そうなヒト・・・
[PR]
2007年 12月 11日 |
車で走っていると、取り残された柿の実に目が行ってしまう。
葉っぱが落ちて、一層存在感を増すように、しぶとくへばり付いている”秋”のようで、柿の実も一生懸命な気がしてなんだか微笑ましい。

日が落ちるのが早いから、午後3時でもう夕方のような気がする。
西日に反射する柿の実に手を伸ばすと、外側がプヨプヨしていてちょっと拍子抜けした。


e0029553_047237.jpg



小学生の頃、ちょっとアウトローで名前の通っているKくんという友達がいた。
彼は体が小さくてやせっぽっちで、おまけに喧嘩も弱くてあまり勉強も出来るほうじゃなかった。
僕と彼は、何にもとりえの無い友達同士だった。

彼の両親は、小学校の6年間ずっと別居中だったので、それでグレチャッタのかもしれない。
数回遊びに行った彼のアパートの奥の部屋では、今思えばちょっと水商売風のきれいなお母さんが日中タバコをふかしながら、横になってテレビを見ていた。

Kくんは、たまにそのタバコをくすねてきては、わざと僕の前で吸って見せたりした。
って、こんな風にエピソードだけを連ねて書けば、僕はKくんと親しかったようにも読める。
でも僕はKくんと親しい友達だったわけでは無い。少なくとも僕の中では。。

それは、小学生なりに主義が違ったから。
意外と小中学生時代とは、意識している世界が狭い分だけ、今よりも自分の主義主張がはっきりしているものだ。だからあの当時、僕が何を主義として小学生をしていたのか、・・・なんて分からないけれど、Kくんとは違う主義のもと小学生をしていたことだけは間違いないと思う。
こう書くと、何だか笑えるけれど。

(クラス相手の環境教室なんかをやっていて、今の小学生でもどうやら同じようだと思ったけれど)クラスという家庭環境がまちまちな児童たちを見渡すと、少し複雑な環境で生活している子供っていうのは、その中に必ず二、三人はいる。そして小学校中学年にもなると、その子たちは自分の暮らしや環境を周りの子供たちと比較して、どこからか与えられた先入観を敏感に感じとる。
そしてまた、さらに一部の子供たちは、”看板”を背負って、彼なりのワルを演じ始める。

それは、自分が少しアブノーマルな環境で育っていることに対して、周りに揶揄されないための自己防衛だったり、自己顕示だったりする。僕はこれは、正当な、生きものとしての本能だとも思っている。

だから、母子家庭で育った僕も僕なりに看板を背負って小学生をしていた。

(えぐい表現が続いていますが、もちろん母子家庭でもまっすぐ育っている子供がたくさんいることも知っているし、こんな子供社会が大好きなのです!)

僕は僕なりの主義をもって、小学生をしていた。
ただ、僕個人でいえば、例えば、”母子家庭=貧乏”という構図で見られることに過敏なほど反応していた。
・・・むしろそういう事実に負けないように、もしかしたら逃げるように、自意識というものを形成していた時期だったのかも知れない。
とにかく、今思えば実際そうだったんだから仕方ないじゃないって思うことが、当時は嫌で嫌で仕方が無かった。

そして、そういう子供はやや老成している。
一般的な大人の目から見る、小学生の可愛らしさや子供らしさの目線からは図り知ることも出来ないような感性を持って、小学校という社会の住人をしている。

こういう子供の気持ちを見つめていると、裕福な子供ほど大人数で一人を攻撃してしまう、いわゆるいじめ問題、加害者(首謀者)になっている理由も何となく分かる。
自分が分からないものを素直に認められない心理とは、アイデンティティに関わることなので、人っちゅうもんが同じ社会に属していると、それを受容するか潰しに掛かるか、どちらかの反応をしてしまう。

ここで潰しに掛かるのは、大人・子供関係なく、本当はどこの社会にもあることだけど、特に小学校のような子供社会の中で顕在化していると、大人目線の偏見媒体ともいえる、新聞ニュースの格好なネタになるんですよね。



僕自身は、小学校5、6年生の頃にいじめられた経験がある。
当時は体が大きかったから、何度か喧嘩になっても負けなかったので、深刻なほどいじめられた気はしていないけど、悲しくて登校する気がしなかったことは、やはりあった。・・・ただ、いじめられていることを母は知っていたとは思うけれど、僕は一度もそのことを自分から話したことは無かった。一度、「お前、学校でいじめられているのか?」って母から聞かれたことがあったけど、何だかんだ理屈をつけて自分はいじめられていないと伝えた記憶がある。
何も出来ないくせに意地っ張りだったから、あまり誰かに泣きつきたい感情を持たないように育ったのかも知れない。
今はすぐに泣きつくけれど(^^;。



Kくんは、登校時も下校途中も、いつも一人だった。たまに同級生の何人かと一緒に帰っているなぁって思って見ていると、そのうちの一人をからかっていたりした。
そんじゃ僕はどうしていたのかと言えば、あまり友達がいる方じゃなかったけれど、一緒に遊ぶ友達がいつも何人かは決まっていた。

ただ僕は、Kくんにある種の寂しさや貧しさ、どうしようもない孤独の気配を感じていた。
そしてそう感じれば感じるほど、それらは僕が僕自身に対して感じているんだということの証明でもあった。

僕とKくんには、無邪気に何かに没頭したり、のんびりと家族と過ごす時間は無かった。

だから、似たもの同士でネガティブな面で共感を感じることが僕は嫌だったんだろうと思う(多分Kくんも)。

そしてたまたま、Kくんがアウトローの道を行ったから、僕は単に同じ道を歩くことを避けたのかも知れない。このことを”主義が違う”と表現するのは間違えているかもしれないけれど、自分たち以外の誰かさんたちから見て同じように映ることを避けた気持ちの底には、もしかしたら主義の違いがあったのかも知れないなぁ・・・なんて思うのです。


e0029553_2343764.jpg




ある秋の夕暮れに、親の帰りが遅いもの同士、Kくんと僕は柿の木に登って遊んでいた。
僕たちはたくさん生っているギラギラした柿の実を前にしていた。
そして、Kくんと僕は

「これが晩メシだよな!」

とか言いながら、ワシ摑みでもぎ取り、そのまだ熟しきれていない渋い実をかじって、訳も無く息巻いていた。


やがてしばらくして、僕の母親が仕事から帰ってきた。

「ご飯だぞ~」

母は自転車に乗ったまま、僕に向かって声をかけた。
そして僕は、

「K、オレ、メシだからまたな!」

と、アパートに向かって歩き出した。


そのときのKくんが、裏切られたような、何とも言えない怪訝そうな表情をしたのを覚えている。

そして僕の後姿に向かって叫んだ。

「晩メシ代わりに柿食ったじゃんよぉ~!」



・・・今でもちょっとチクッとする思い出話なのです。
[PR]
2007年 12月 09日 |
散歩の途中で、携帯に電話が入った。
仕事の呼び出しかなと、密かに眉をひそめた。

仕事の呼び出しじゃなかったんだけど、母から電話が来て、母の友達が亡くなったとの連絡だった。一人で自室の布団の中で亡くなっていたらしい。

うちの母は保険の外交員をしていた。
保険の外交員って、会社にもよると思うけど、職員同士の絆が深い。
亡くなったSさんも、おかんとずーっと親しかった人で、僕のことも僕が物心つく前から知ってくれていた人だった。

e0029553_23305539.jpg


Sさんは、若い頃はスポーツ選手(スキー国体)で、女性とはいえスポーツ全般に造詣が深くて、独特のものの考え方をしていた。仕事の忙しい夫と二人暮しで子供も居なかったので、よくうちで一緒に晩御飯を食べたりして、家族同然のお付き合いをしていた。
僕が中学生の頃は、プロ野球を一緒に見ながら熱い議論を戦わせて、遊んでもらった。高校ぐらいのときは、いつも僕の我侭を肯定的に聞いてくれた。(結果、母とのバランスをとってくれたんですね)
いつもガハガハ豪快に笑う、男っぽいおばちゃんだった。僕の母より4、5歳年長だったため、先に退職を迎えて、退職後は故郷に戻って、悠々自適な生活をしていた。そのころには旦那さんが亡くなっていたため、一人暮らしだった。


電話を受けて、僕も絶句した。
「・・・なんで?」

母は、Sさんが一人で寂しく死んだのが可哀相だと、嗚咽交じりに語っていた。
釣られて僕も、Sさんのことを思い出して、涙が出てきた。

「お前のことを自分の子供だと思っていた人だから、一応連絡しなくちゃと思って電話したよ」

母がそういうと、僕はもっと切なくなってきた。

e0029553_2345416.jpg


でもね、僕は、母が泣いていることが、一番可哀相だった。
Sさんのことも悲しいけれど、多分後からもっと悲しくなってくるんだろうけれど、今は何よりも、母を励ましたかった。

「そっか~、Sさん。一人で亡くなって、火事とか大丈夫だったのかなぁ・・・」
話題を逸らすわけじゃないけど、仕事柄、単身高齢者が小火を起こしてしまうことがあったため、トンチンカンな話題がふと口に出てしまった。

「え?そういうのは大丈夫だと思うけどぉ!・・・連絡だけしようと思ったから、んじゃまたあとから。ガチャ」

と、なりました。

励まそうと思ったから、母の悲しみに同調して一緒に悲嘆にくれるのを瞬間的に避けてしまいました。母も一緒に悲しみつつあった息子が変なことを話したので、ふと我に返って電話を切ったんだと思いました。こういうとき、普通の親子ならどうするんでしょうね。家らしいといえば家らしいのですが・・・。今思い出して、悲しい中にも苦笑いが出てしまいます。


我が家ではちょっと最近、近所の方も亡くなったり、今回一つの時代を一緒に稼いできた親友が亡くなってしまったりと、悲しいことが続きました。
そういう時期なんだなって、思うしかない状況だとは思うのですが、こういうとき、息子っちゅうのは役に立たないのかも知れませんね。

息子は、母を励ますことを優先してしまう。一緒に悲しむことは出来ないようです。
例えばそれが、「冷たい奴に育ててしまったのではないか」との危惧を母に抱かせてしまったとしても、息子も後から第2の母親を亡くした悲しみに浸ることとは思うけれど、今はおかんが元気になってくれることに、集中してしまうのです。

夕方、母に電話したときは、僕との電話の後で、外交員時代の他の仲間達に電話をかけまくって、「みんなと泣きながら話をしたよ」と落ち着いていました。
「昼間はごめんや」と言われたので、「姉貴分が死んだんだから、全然おかしなことじゃないじゃん」って言って笑いました。

笑った拍子に、二人ともまた、一瞬涙が出そうになったんだけど、今度は我慢して電話を切りました(^^;。母一人子一人で育ちましたが、何か不器用な親子ですね。

人も色々、親子も色々、それだけ悲しみ方も色々なんで、きっと。

前向き上向きじゃないと生きて行けませーん、ね。
[PR]
2007年 12月 08日 |
お気に入りの小屋の撮影が出来て満足のフクロウめは、その後河川敷をBW。
望遠鏡でよめさんにエナガを見せると、あまりの愛くるしさに涙目になっておりました(寒風のせいもあるかと思いますが)。

e0029553_2264060.jpg


e0029553_22243885.jpg


この時期は、混群といって、異種間なのにみんな集団入り混じりで、採餌しながら飛び回っている。エナガに加えて、シジュウカラ、ヤマガラも今日は一緒だったんだ。混群が近づくと、賑やかさに他の鳥も触発されて、藪の中から飛び出してきたりする(^^)。
ウグイス、カシラダカ、ホオジロ。他にも何種類かの鳥たちが、愉快なエナガのさえずりを聞いて、「なんだなんだ?」なんて、出てきた。楽しさは伝染するのでしょう。


ペアのエナガは、よめさんのすぐ目の前に小枝に止って、小首をかしげて僕たちのことを見ていた。その後くるっと曲芸飛行をしてから、藪の先へ飛んでいった。

あまりの感激から、「ユートピアだわ・・・」、よめさんがボソッと呟いた。

それを聞いて、僕は昔の漫才コンビを連想し、あのコンビのネタである手足を駆け出すようなポーズのゼスチュアをせっかくしたのですが、よめさんにまったくスルーされました。


e0029553_22271197.jpg

空は誰のものでもなく。


e0029553_22275124.jpg

でも、キミたちのものでもある。

鳥が空を飛んでいるのを見ると、僕は優しい気持ちになる。
たくさん飛んでいれば、なおさらだ。

そこに居るものが居てくれることは、それだけで癒しになる。


e0029553_22342067.jpg

鮭が静かに泳いでいたんだ。

毎年遡上してくる鮭を人は、今もそうだけど、ずっと長い間食用にしてきた。毎年必ず戻ってきてくれるこの魚を、人はどれだけ感謝して頂いていたんだろう。命の循環に思いを馳せたり、今を生きることの難しさを考えたり。そうやって生きているものたちを見ながら、今は気付かない何かを教えられている。そして、あーそうだったんだなって、いつも後から気付くんだ。


e0029553_22521318.jpg

ユリカモメの小集団

僕たちの歩く少し先に、ユリカモメたちが降りてきた。
しばらく様子を見てから、直接顔を合わせないようにするために、ちょっとずつカニ歩きで近づいた。3歩近づいてはチラッと様子を見て、また3歩近づいたら様子を見て・・・。
よめさんが後ろでゲラゲラ笑っているのを目で制しながら、自分も可笑しくなってくるのを我慢した。BWは難しいのである。うっかり飛ばすと、せっかく休んでいるのを邪魔することになる。でも出来るだけ大きく写真に撮りたいなぁ・・・なんて。

この辺ではユリカモメって、冬場の一時期にだけ見られるのだけど、今年はいつもより滞在が長いような気がする。・・・単に今まで気付かなかったのかな?
ちょっと赤めの足と、目の後ろにポチッと黒い斑点があるのが特徴なんだ。
カモメの仲間は、虹彩が黒っぽいと可愛く見える。でも、白っぽいとキツイ表情に見える。
ユリカモメは可愛く見えるし、ここでは通年見られる鳥じゃないこともあって、好きな鳥の一種なんだ。


今日は風も弱くて、フリースだけでも散歩が出来た。
[PR]
2007年 12月 08日 |
今週は、週の後半が県北(久慈市)での泊まりの研修だった。
沿岸とはいえ、県北はやはり雪がうっすらと積もり、約4時間の行程で道路脇から見えた大海原も、強風に大きな波頭を白く浮き立たせていた。

県北の空はどうしてか、いつもより白っぽい青で、人もまばらな国道沿いの寒村では、光の強さに家屋の壁板の傷みばかりが目立って映った。
風景を見ながら、後輩と二人、車中で

「やっぱ、違うよね。」
「住むだけだったら、オレ住んでもいいっすよ。」

「いや、仕事ないから!」
「なんかなぁ、在宅仕事があれば良いんですけどね~。」
「小説家になるか!?」

なんて会話しつつ、まぁ研修も終わりました。

沿岸南部の冬風景
[PR]
2007年 12月 04日 |
e0029553_21574439.jpg

陸に上がったカルガモが、ほっと一安心・・・かな?
寒い盛岡の日中、馴染みの床屋の時間つぶしに高松の池に立ち寄って、昔見た風景を懐かしんでおりました。

「え!そんなに?」
っていうくらい大きなパンのかけらを与える子供が一人いて、その子の周りにカモが集まりすぎたから、あれあれその子が困っていました。

両親は笑って見ておりました。


e0029553_0173011.jpg


カルガモも地味な印象ながら、なかなかの風貌をしているものです。
[PR]
2007年 12月 04日 |
小波の寒さが身に沁みる季節になりやした。
冷えた風に、まるで自分が一本の枯れ草になったような気がしてきますね。←オレだけ?
キューっと体を縮めると、やせた首の隙間から風が入ってくる。
でも、マフラーってしない。そういうところも、めんどくさがりなのです。


e0029553_21375933.jpg

洋上の風は、水面付近で小さな渦がくるくる廻っている。それでこんな風に小刻みな波紋が続いているのです(寒そう・・・)。


通勤途中、太陽が光だけを放射している。
太陽を暖かいと感じる間を与えずに、風が熱を奪ってゆく。

でもそんな、白々しく明るいだけの朝も、鳥は元気に飛び回っている。
冬もやっぱり、鳥に元気を貰っている。


e0029553_21533542.jpg

タッタカター!タッタカター!オナガガモの行進です。
[PR]