フクロウくんのポンコツ的生活
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2008年 01月 31日 |
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2008年 01月 29日 |
あんまりタイトルには意味がありませんが(^^;。

暮れに東京に出張したとき、竹ノ塚駅からちょっと歩いたところに、自家焙煎のコーヒー店があった。
コーヒー屋さんには目ざとい僕ですから、出張の用事が終わってから立ち寄ってみたのでした。そこでは、お店で焙煎した豆と一緒に、焙煎前の白い生豆も分けてくれていて、僕はそれをシゲシゲと眺めていた。

お店の店長さんが一人いて、生豆に関心がある様子の僕に話しかけてくれ、僕も好きだからいろいろ話を教えてもらったりして、すごく楽しいひと時を過ごせたんだ。
何でもいいから好きなもので繋がっている人間関係って、ホント良いもんだ。
余計なことは何も話さなくても、目の前にあるコーヒー豆についての思いや考え方を伝え合うだけで、その人となりが分かるような気がする。
東京って、いろんな人がいるから、お店なんかやっていると人柄も洗練されてくるんだと思う。

僕は人見知りをするほうでも無いけれど、普段はあまり積極的に人とは関わらないことが多い。でも、そのときは個人的なことにはあまり立ち入らずに、それでいて結構深いことを聞いてくれたりして、会話そのものも普通に楽しかった。プロの方とコーヒーの話なんて、ここ数年したことが無かったので、店長さんの話を聞きながら僕自身思い出す部分もたくさんあったりして、余計に新鮮だったのかも知れない。

たくさん買いたい豆があったんだけど、旅の途中であまりたくさんの荷物を買い込むのは避けたかったので、今まで焙煎したことが無い品種の生豆と、そのお店の焙煎豆(マンデリン)を買った。

一昨日、ふとそれを思い出して、そういえば焼いていないなぁ・・・ということになり、半年振りくらいで焙煎した。
その生豆は中国産で、ラベルには「雲南 思芽」と書いてある。
「うんなん しもん」というそうです。
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中国の豆なんて、これまで焼いたことが無い。店長さんに焼き具合はどのくらいがいいのか聞いたところ、結構強めに焼いた方が良いとのことだった。
強めの焙煎の方がどちらかと言えば得意なので、それは良かったんだけど、強めに焼く豆といっても、もともと持っている味の強さというか、味のポテンシャルがそれぞれあるのです。
味が非力な豆に対して、強めに焙煎することで足並みをそろえてあげる焙煎。
反対に味がしっかりしているので、強めに焼いても酸味やコクがきちんと付いて来る豆の焙煎。
その辺は、焼き込まないと分からない。

豆も農場単位で品質管理がしっかりしていないと、味や質が悪くなる。
だから最初、「中国産」と聞いたときに、どうにもネガティブなイメージを持ってしまったのですが、それも仕方ないかな・・・と思います。


久しぶりの焙煎で、しかもお初にお目にかかる豆でしたからビクビクものでしたが、何とかイメージした焼き方どおりに進み、本日試飲してみました。

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弱火で7分。この間に豆の緊張を解きほぐしてあげます。7分というのは弱冠長めなのですが、ここに時間を割いてあげることで、強めに焼き上げたときの甘みが増します。それから中火で焼き上げました。パッと見では白っぽくって乾燥して見える生豆ですが、その中に味のもとになる水分(味の素?)がきちんと含まれています。でも品種的なものもあるとは思うのですが、この豆は含水量にバラつきがあったため、完成したときにやや豆の色にばらつきがありました。でもな~、僕の焼き方の未熟さも、もちろんあるかとは思います(^^;。
ま、焼き方を除外して語るとすれば、良い豆はその含水量も比較的均一なため、価値も高いのですが、残念ながら雲南思芽は高品質かという観点では、いずれにせよちょっと落ちる品種かなと思いました。


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カップに落とせば、それなりに見えるものです(^^)。竹ノ塚の店長さん、ちゃんとコーヒー焼きましたよ~!


さて、試飲の感想です。
コーヒーって、産地によって明らかに風味の傾向が似てくるのですが、中国産のものは今回が初めて飲んだ関係で、比較の対象はありません。
ただ、味の出方で僕はよく表現するのですが、上の写真ぐらい深い焼き(フルシティローストくらいかな・・・)にしては、きちんと酸味が残っていて、驚きました。コーヒーの酸味って、上手に焼いてあげないとエグ味のままカップに落ちてくる。
酸味っちゅうても美味しいコーヒーを飲まないと、開眼しない、分からないことの一つなのです。
よくあるのが、大手のコーヒー豆会社の製品なんかで、アメリカンロースト♪なんて言って、ただ酸っぱいコーヒーを飲ませることは多いものだけど、ああいうのは酸味ではなくて、エグ味と言うのでございます。
でもそれを売りにしているものが巷には多いですねぇ。
エグ味は生豆に十分火が通っていない半焙煎・半生状態なだけなので、冷めて飲むと何でこんなの飲むんだろう・・・って、今度は自分が冷めてくるものです。
(あくまで自分自身の話ですいません)

それにしても、雲南思芽の酸味は良かったなぁ。
深炒りしたコクと、予想外にしっかり出てきた酸味が引き合って、ベースにした弱火7分の甘味の上で、3種混合ワクチンのハーモニーだった。
「中国の土」っていうと、何か汚染されまくりの印象があったんだけど、このコーヒーに関しては、侮れない土の力を感じました。環境さえ合えば、結構中国のコーヒーはいけるかもしれませんね。・・・一度の焙煎ではちょっと褒め過ぎかも知れませんが。

あとは、一週間くらい経ってから、味の輪郭がどのくらいハッキリしてくるのかを確認すれば、チェック完了!
・・・なのですが、僕のやり方だと一回で200gくらいしか焙煎できないので、大抵は一週間経つ前に飲み尽くして無くなってしまうのです。orz


たまに焼いたもんだから、調子に乗ってコーヒーの話でした(^^;。
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2008年 01月 28日 |


今日は風の強い日曜日だった。
でも天気は快晴で、絶好のBW日和だった。

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暖かいとはいえ、小さな水たまりは凍っています。寒そう。

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今日は地元の子供クラブのみんなが観察に来てくれた。
子供たちには野外活動が良く似合う。
親子連れの参加が多くて、まぁ親は子供から目が離せないけれど、子供たちはそんなのお構いなしにアチコチ走り回って鳥を見ていた。

長い望遠鏡で拡大された鳥の姿を見せると、彼らは静かにジ~っと何かを感じている。
僕はこういうときの、子供たちの集中力を尊敬している。
高学年になってくると、だんだんそういうものにも関心が無くなってきてしまうことが多い。
また、読書家で生物図鑑も熟読している子なんて、こちらが知らないような知識まで知っている。
ただ、「知る」ということについて、本から得た情報をそのまま記憶するような育ち方はして欲しくは無いので、こういう実物を身近に感じることができる観察を大切にして欲しいとも思う。


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良い親子のふれあいの機会にもなっているようです。

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キンクロハジロ 3羽 ホシハジロ 1羽


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アオサギ(脱力系)


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マガモのペア


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ホオジロガモ(何してるんだろう??)


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ハジロカイツブリ(何となく微笑んでいるように見えるのです・・・)
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2008年 01月 21日 |
今日は日中、風が弱かった。

僕の職場はすぐ裏手が山になっているから、風がないと鳥の声が良く聞こえる。
シジュウカラやシメの鳴き声。シジュウカラに混じって、ヤマガラやエナガの声も聞こえてくる。
今日は聞こえなかったけれど、鳥の多い日はこれらに小さなキツツキの仲間のコゲラや”フィフィフィ♪”っていう声で聞こえるゴジュウカラなんかも混じって結構賑やかになる。

風は空気を撹拌(かくはん)する。
風が耳に当たると、風の音がすぐ耳元で聞こえてくる。
そうすると、寒さで感覚が閉じてしまったり、他の生きもの達の音が聞こえなくなる。
でも本当は、冬には冬の匂いがちゃんとあり、命の息吹もある。
だから、1月後半にもそれなりの匂いがあって、今日は小さいながらも春の兆しを感じたような気がした。

ウメの蕾が、ほんの少しだけ色付いていたんだ。
米粒程度の春の兆しでしたが(笑)。

ポケットに手を入れずに歩いてみたら、寒いことは寒いけど、手がかじかんで赤くはなるんだけど、厳冬期のどうにもならないような、キリキリ差し込む痛みにはまったく届かない、我慢できる寒さだった。

よその家の庭先に生えているウメの蕾の前を通ったとき、ほんの少し、かすかにその匂いがして、あっと思った。米粒の春はまだまだ小さな蕾だったけど、ちょっと体の奥が春モードになりかけた。
風が無ければ、植物たちの冬というのは、春芽という春の片鱗を少しずつぼくたちに投げかけている季節なのかもしれない。ほんの少しの匂いでも、風が無ければ、それを感じることが出来るんですね。

でも明日はまた寒い一日に戻りそうです。
冬の風は冷たくて冷たくて、また明日から、僕はただコートの襟を立てて「サビ~」とか言いながら、カツカツと歩くだけ。今日はたまたま春っぽかったんだ。

でもこの風が止めば、木々の芽はちゃんと春を発信し続けてくれてる。

この冷たい風の分子の中には、ちゃんとウメの蕾の香りエキスが混合されているんだって、今日気がついたから、明日からの風は、今日よりは少しはマシになっているかもしれない・・・かなぁ?
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2008年 01月 19日 |
どうも風邪気味というか、体力が落ちているようで、一ヶ月前よりも元気が無い。
僕の平日は大抵9時過ぎに帰宅し、それからが自分の時間なのです。もうその頃にはくたびれてしまっているから、自分がしようと思っていることをこなすペースが見る見る落ちてしまい、鳥関係の文献に掲載記事を上げる予定(たまにですが、こういうこともしているのです)だったんだけど、本業の方のパタパタも手伝って、結局締め切りギリギリになってしまった。
提出先のレフェリー(文章添削係)さんは親しい方なので、心配しなくても間に合いますよと優しくメールを返してくれたんだけど、そう仰られると却って申し訳なく思ってしまいます(^^;。


パタパタといえば暮れの年賀状書きから始まって、遅れた友人に昨日ようやく寒中見舞いを送ったから、これで大体落ち着いた。「あ~終わった終わった」などと言いながら、今日は一息入れている。そして来週末は、いつものお楽しみ。マイフィールドで、子供たちを対象にした野鳥の観察会に参加する。

いつも一人かせいぜいよめさんと二人で見ているだけだから、こういう(子供たちも参加する)観察会では、いろいろ鳥のことを伝えることが出来るから、「なんか知識を繋いでいるなぁ!」って感じです。目的意識が高くなるから、その分自分の感覚も敏感になってみんなとワイワイやっていると、いろいろ今の社会のことや教育のことも考えられる良いきっかけになる。
こういうgive&takeは良いもんだ。


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上流部が山に挟まれているので、河口部では山から吹き降ろす風が収束する。
丁度いつもの観察場所一帯は、この時期一定間隔ですごい風がビューっと吹いてくる。
冬になって草木の水分が抜けてくるから、アシ・ガマ・ススキといった背の高いものたちは、半分くらいはペタッと地表付近に倒れている。
でも残りの半分は、しなやかに風になびきながら穂を揺らして春のための種をまだ飛ばし続けていた。
こういう何気ない風景でも、いろんな意味を感じてしまう。
思い込みの強さも手伝って。。

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風に揺れる穂から綿毛が飛んで、あちこち斜陽に白く光っていた。
来年芽が出せるのも、そのうちのほんのわずかなんだろう。

ただするべきことをして、自然に任せて。
今日も植物の世界は何も問題ない。


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今年は、鮭がたくさん上がってきた。
最近の河川では河口部に魚止めの仕掛けを張ってしまうので、今年の河口部はピーク過ぎてやってきた鮭たちがたくさん泳いでいた。
食べ物がたくさんあるからなのか、オオバンという上の写真の黒い水鳥が、今年は例年よりもたくさん見られ、あちこちで鮭の死骸をついばんでいた。
よく見ると鮭の腹のあたりを一生懸命突いているから、僕と同じでオオバンもイクラが美味しく感じるお年頃なのでしょうね(意味不明)。

こんなに餌が無ければ、こんなには多くいない。
鳥の動きもまた、その年の自分以外の生きものや餌の動向に左右される。
要するにこれだって、植物と同じなのかもしれない。しなやかに環境に対応して生きているっていえる。

偶然という不確定なファクターを生活に取り込んで、いつでもそうやって野生動物は生きていく。
それを見た人間が、何かの法則性があるとか無いとか、そういうことに関心を持って分析している。そうやって分析をすることは、とても大切なことだ。
だけど、どんな分析でも例外というものが存在する。だからそこでまた、その例外を取り込んでもっとしっかりした分析を再構築しようって、僕だったら思っちゃう。


地球が遷移しながら時間を重ねてゆくということは、フィールドワーカーにとっては、もしかしたら永遠のいたちごっこ。
目の前の出来事を整理だてて説明しようとするその先から、きっと地球は笑いながら変化してゆくんだ。

無常ってこういうことなんでしょうねぇ(笑)。


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オオバンが作り出す、無常の水面に映る波紋が、はるか先で拡散して消えてゆく。
波紋が生まれて、広がって消えてゆくのも何だか人生に繋がるような気がする。


冬は何だか、何を見てもテツガク的になってしまう。
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by bigbirdman | 2008-01-19 00:23 | 独り言 |
2008年 01月 17日 |
実は最近、職場の上司と折り合いがつかない。
久しぶりにそういう状況になり、自分に対して戸惑っている。

人を嫌うことって、なんて簡単で楽なんだろう。
こらえ性が無いこともあり、家に帰ってきていつも愚痴をこぼす。
人のことを悪くいうのも、なんとも簡単で爽快なものだ。

楽であったり、爽快であったりすることに、僕はいつも引かれてゆく。
それが直接、何の解決に繋がらないと分かっていても。
自分が不都合を感じている事柄や人物に対して、非難したい気分を抱くのは当然のことだ。
それを止めようとは思わない。そういう相手は、自分から見て絶対に悪いんだから。
悪いものを悪いといって気が済んでいるうちは、そうすればいいと思っている。




人を悪く言う心理には、背景に自分を分かってもらいたいという希望が潜んでいる。
そんなのだれでも知っていること。
ただ、自分にそれを伝えるだけの能力が無いから、そのことは見ない振りをして、ただ相手を悪く言う。自分を高めるための仕事や生活をしていないから、同じように相手を引きずりおろそうとして、直接傷つけるような言葉を考える。

ただ、僕の一点の救いは、この点において絶対そこまで下卑たまねだけはしないって、決めていること。だから、もしそうしてしまいそうな心理状態になったら、残念だけど仕事辞めて、僕はそこから去ってゆくと思う。食付いてでも稼がにゃいかんのだけど、多分(直接)人を傷つけてまでやってゆくだけの逞しさが僕には無いだろう。
そんな感じで、お願いだからそういう状況にだけはしないで(ならないで)欲しいと、思っているけれど、人のココロは本じゃない。
目に見ようが無いので相手の今の気持ちはどうなんだろう・・・、そういう嫌な勘ぐり気分で最近は仕事をしているときが多い。
内向的に行き過ぎて、自分を苦しめているなぁと客観的には自己観察しているつもりではありますが。

先日の東京出張の際、新幹線に乗るまでの道中で、後輩達と楽しく談笑していたのに、ふと精神的に調子を崩してしまった。眠った振りをして後輩達には心配させないように勤めたけれど、小さな混乱状態になっていた。
正しい分析など自分では出来ようも無いけれど、恐らく住み慣れた環境から離れ、ほんの数日間でさえ出張先で生活することが、精神的に負担になっていたのだと思う。

「あ~、自分はこんなに今の仕事(というか上司だと思いますが)嫌だったのね・・・」

他にどうやって生活してゆこうなんてこたぁ特に具体性も無いくせに、ただキライというネガティブな感情に敏感になってしまったこの身の不幸を思った・・・。

人生には乗り越えなくてはならない壁がある。でも率直に言って、自分としては今まで越えてきた部分でもう十分、たくさんだ。人にはキャパがあるんだから、オレにはもう来んなコノヤロ!って感じなのです。全然人より苦労していませんけど。
正直、人を受け入れるなんて、実は自分の大いなる英知的な誤解に過ぎないとも思うことがあるのですが、僕の場合、結局人の好き嫌いについては、ある嫌いな人に、「それでも好きなところがひとつでもあれば大丈夫!」と思えるかどうかが分かれ目になるのです。ただ、ビジネスライクに、中途半端には人を好きになれない性分なので、これまで自分の近くで仕事をしてきた人たちは、誇張ではなく本当に好きになってきました。
・・・ただ、ある種の性格の人物像を除いて。



フクロウがどうしても受け入れられない人物像
それは、極端に人を寄せ付けない人
(挨拶が出来ない)
それは、自分の中に”ものごとは、こうあるべき”というスタイルが極端に出来上がっている人
(人にモノを教えられない)
それは、自分の言っていることが受け入れられないと、徹底的にその対象をこき下ろさないと気がすまない人
(本当は心配で仕方が無い)

括弧内はさておき、これらひっくるめて、一般的には”傲慢な人”と言えるかと思います。
でも実際、これらはすべて僕にも当てはまります。
ただし、この職場では今まで、二人ほどそういう人物と仕事をしてきたことがあるのですが、その二人の共通点、そして当然フクロウには共通していない点として、

ココロの中で思っているだけに留まらず(僕は留まっている)、それを実践してしまう強さ、または無神経さが彼らにはあるのです。

僕はこれが、本当に苦手です。
これと組んで仕事をすると、大抵ろくなことがありません。

例えば・・・

上司「何で、この(家庭)環境でこういう援助方針なの?」
自分「え?どうしてダメなんですか?」

上司「そうじゃなくてぇ、どうしてこういう方針なの!?」
自分「これは、こうこうだから、こうしたほうがいいと思って・・・」

上司「・・・(呆れた様子)」
自分(呆れてねえで何か言えよ、コノヤロ!)

上司「ここは、契約内容をこうしてこうすれば?」
自分「??(説明の省略が多くて何言っているかが分からない)」←要するにおバカ

上司「・・・」
僚友「それは、あんまり聞かないやり方じゃないですか?」

上司「とにかく、これじゃ全くダメだと思わない?」
自分「・・・(何を言われて、何がダメだと言われたのか分からない)」

要するに、自分のこう在るべきというスタンスが多分あるんだけど、それを具体的には明示しないずるさがある。質問だけして自分の意見を説明しない怠け。都合よく自分に甘い節があるんだ。
だから、相手は一対一での意見のぶつかり合いを避けて面倒を回避していて、おバカなこっちは一方的に不安になるように錯覚させるテクニックを使ってくる。
(これって、ちょっと怖いセールストークなんかでも使われる常套手段に通じるもので、一時的に思考停止状態になってしまって、直面すると意外と怖い話術なんです。)


まぁ結局、こういう建設性・発展性の無い人間関係に、大変虚無的になってしまう自分なのです。
ですが、僕もここでもっと突っ込んでゆけない弱さがあります。
自分が傷つきたくない気持ちの人一倍強いせいがあり、こういうのは結局自分で招いている関係性なので、やっぱり本当はもっと食付いて乗り越えてゆかなくてはいけない壁なんでしょうね。

ただ、僕はできればそういうドロドロした関係にはしたくない。
よしんば僕が突っ込んでいったとしても、そこでこじれてしまったときに、それを修復させるだけの度量が恐らくこの種の人間には無い、と僕は思っている。
結局、僕がそれだけこのタイプを信用していない。

一番素直に考えれば、そこら辺が原因だと言うことも分かっているんですが、なかなかガップリ組んでゆけない、実践できない自分の弱さかな。

でも・・・弱さだって、克服しない意志があればスタイルになるとも思うのですよねぇ(笑)。




進行中の関係性なので、結論の出しようが無くて恐縮です。
そういう悩みを抱えながら仕事をしております。

また何かあればネタにしたいと思います。
でも、しないかもしれません(^^;。
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by bigbirdman | 2008-01-17 00:49 | ダメネタ |
2008年 01月 16日 |
寒風の中でもキラキラと光っている。
冬鳥には、そういう印象がある。

寒さって、ついココロが萎縮してしまう。
そんな気持ちで双眼鏡を眺めていると、河川敷で寒いだろうに水に浸かって動き回っているカモ達を見るにつけ、元気だなぁ・・・と思う。

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今年は、思わぬ友人から年賀状が届いた。
その文面には、10年以上お付き合いしていた大学時代の同級生同士がついに結婚して一緒に暮らし始めたとのことだった。

こいつぁ春から縁起が良いや!

一人「お~」などと呟き、つい笑みがこぼれた。
彼女の方が、大学だけじゃ満足できずに大学院の博士課程まで行ってしまい、彼はといえば大卒で普通に就職していた(大学に行くというのは、それが普通なんだけど・・・)ので、遠距離恋愛になってしまい、どうなるのかなぁ・・・なんて、思い出しては気にしていたので、良かった。お隣の宮城県で生活しているとのことなので、僕はあまり友達がいないので、遊びにいけるところが増えたようで何だか嬉しかった。それでも、なかなか行けないとは思いますけどね~。

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今年は去年より雪が多い。
それでも沿岸だから、積もっては消え、積もっては消えの繰り返しだ。
海の風景もいつもとは違って、何だか凛として新鮮でもある。
自分も新年に相応しくそういう心持ちで暮らしたいと思いつつ、何だか年頭からバタバタしており、ブログの更新もままならない(言い訳です)。

先週あたりから日一日と夜の寒さが増してくる。
だから、月光が寒々とちらついて映る。
ス~っと夜の大気を鼻から吸い込むと、鼻の穴がくっついた。
北海道みたい!なんて驚いていたら、その日はマイナス7℃くらいまで冷え込んだとのことだった。
よめさんが、部屋の中に温度計を付けた。それまではファンヒーターの室温計(?)で室温を見ていたんだけど、それだと0℃までしか表示機能が無いから、室温マイナスの日は何となく今日はマイナスかな・・・程度の認識しかなかった。
というより、室温でマイナスになってしまう部屋に住んでいること自体もよく考えると恥ずかしい。ましてやファンヒーターに0℃までしか感知能力がないと言うことは、普通はそれ以下にならないということなんだろう・・・。
そう考えると、「いやはや、マイッタネ」という気持ちになる。


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ヒドリガモのオスメスが、河口付近を漂っているワカメを喧嘩しながら啄ばんでいた。
「ケンカすんな~」
などと微笑ましさ半分の呆れ笑いをして眺めたが、よく考えるとフクロウさんちの晩御飯でも似たような光景が繰り広げられていることに気がつき、今度は微笑ましさゼロの呆れ笑いをしてしまった。
何だかなぁ。鳥を見ていながら自分を見ているんですね。
そう書くとかっこいいけど・・・まあ・・ね。

僕は一人っ子なので、目の前にあるおかずは基本的に自分が全部食べれるものだと思っている。よめさんは二人兄妹なので、まあ女だから、がっついて食うわけじゃないけど、食事のペースは早い(と思う)。なので、僕が楽しみに取っておいたおかず(例えば、煮物の卵)が、あれれ?気付くと無くなっていることがある。
その後は書くに足らない会話なので割愛しますが、まあ食い物の恨みは恐ろしいとはよく言いますが、その通りだと思います。
もちろん、そんな大袈裟なことは二人とも言いませんけど(念のため)。

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といいつつ、もうワンショット(笑)!

ブログ書くの久しぶりなので、何を書いていいか分かりませ~ん。
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2008年 01月 04日 |
ようやくブログ開始です。
毎年書き出しが遅くてすみません。

年末は結局ばたばたしてしまい、12月24日の書きかけの記事を今日アップした次第です。
今年も何とか年賀状が間に合ったので良かったです。

みなさまにとって、今年もよい年でありますようお祈り申し上げます。


 
いや~さてさて、今年の暮れは久しぶりに紅白を最後まで見てしまいました。
なんか年々紅白って公共性(?)が薄れているような気がするのは僕だけでしょうか?
大分前から感じているのですが、テレビ番組って芸能関係者の単なる内輪受けを、僕らがテレビを通して覗き見しているような、何だか視聴者蔑ろにされたような、そんな悪い印象をひねくれもののフクロウめは抱いています。
外に訴えるものが疎ましく感じられるご時世なのかもしれないなぁ・・・なんて気がしました。

そんな中、ちょっと進行役(応援団長でしたっけ?)とは違うこと話していたような気もするけど、鶴瓶さんは独白に近いながらもきちんと視聴者にも語りかけることを忘れずにいたような気がしたので、あれはあれでよかったような気がしました。中居くんも一生懸命フォローしていたのが高感度アップでしたし。

ドリカムのボーカルの女性やコブクロのコブさん(でしたっけ?)も、大切なご家族が亡くなられて、そんな辛い中でも歌ったりしていて、一昔前のレコ大のアイドルみたいに泣くのかなって思って見ていたら、そんなこともなくプロ意識できちんと素晴らしい曲を聴かせてくれたあたりに、最近は変わってきたなぁって、励まされる気がしました。
(その代わりよめさんが泣いていました。律儀なフクロウですから、「お前が泣いてどうするねん!」ときちんと突っ込みを入れておきました。)

そして昨年から、紅白の後にさださんのトーク番組があることを知ったので、実は僕はそれが一番の楽しみで頑張って紅白を見ていたのです。

あの番組は、好きな方が多いんじゃないかな。
年の始めにゆるい感じで良いですね。
でもゆるくやるのってホントは難しいような気もするので、そこらあたりにさださんの懐の深さを感じてしまいます。歌を聞かせてくれるのが嬉しい。

今年は、今月の写真にも載せたみたいに年の初めからドカ雪でした。
毎年気候が不順になってきているので、多分これからは、特に北国では体調を崩しやすい地球生活になってくるのかも知れない。
自分たちが食べるものに対して、自分たちがきちんと勉強したり、ストレス対策をしっかりやって、病気しないで生きるノウハウが大切になってくるような気がします。

結果的に病気になるならないとか言うことじゃなくて、僕たちが暮らしてゆく中で何が大切なことなのかとか、利己的なだけで完結しない大きな繋がりの中での幸せとかを、出来れば考えてゆきたいのかな、、なんて一応(年の初めなので)所信表明しております。

でも、もとが自堕落なので限界はあるけど(^^;。

今年は、よめさんが初めておせち料理を作ってくれました。
(聞かれてませんが、フクロウは大掃除担当でした。)

一応マクロビ風だそうですが、発色材も使わない地味~な御重なので「お願いだからブログに写真載せないでね」と、よめから言われておりますので、残念ながらここには掲載しません。
More以下に掲載します。

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