フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
<   2008年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧
|
|
2008年 09月 30日 |
e0029553_22484023.jpg


More
[PR]
2008年 09月 24日 |
さてさて、この日が来てしまいました。秋分の日。
やっぱりこの日を境いに、秋が始まるような気がする。
だんだん日が短くなって、寒くなって。

暑さ寒さもお彼岸までというそうですが、笑っちゃうくらいドンピシャで、今日はお昼を境いにして寒くなった。

よめさんが仕事だったので、母と二人でお彼岸のお参りを済ませた。
今年はそれでも暖かかったのか、サルスベリが早くに咲ききってしまったので、庭からは彼岸花だけを調達して、墓前に添えることにした。お寺さんに行くと、お盆にしっかり墓掃除をしたのに、今月に入ってからの長雨でまたまた雑草がしっかり生えていた。

夏の終わりって、そう。
まだ暖かいから、水さえあればまだまだ植物は育つ季節なんですよね。
はさみで植物の茎を切りながら、故人の話をする。こういうのもお彼岸のときならではかな。



「うちのお墓は、海が見えるからおとうも喜んでいるね」
毎年墓参りをすると、母はこう口にする。母の話によると、父は海が好きだったみたい。
だからフクロウ家では、うちの墓を作るとき内陸の父の地元ではなく、少し迷って、自分の故郷にお墓を作った。

そして、その土地に僕が住むようになった。
e0029553_122682.jpg


世界を旅したり、いろんな土地に住んでみたいけど、無精者の僕はこれからもこの土地で生活してゆくんだろうな・・・って、格好良く花が飾られた今日のお墓を思い出している。
[PR]
2008年 09月 23日 |
先月から、岸壁釣りを始めた。(←今月からでした)
仕掛けを投げて、ぼんやりしていると、竿の先に付けた鈴がチリ・・チリンとかって鳴る。
まだ数えるほどしかやってないけど、その瞬間にドキッてするのが楽しくて、密かに、だんだんと病みつきになってきてしまった。餌と仕掛け代の方が、バッチリ高くつくんだけどね(^^;。

仕事で遅く帰る日は、帰り道に遠回りして、岸壁を歩いてみる。
運がいいと、知り合いが夜釣りをしていたりするから面白い。この間なんて、馴染みの魚料理やのマスターがやっていたから、「お店はいいの?」って聞いたら、「平日はどうせお客さん来ないから釣りしている方が楽しい」だって。ダメだこりゃ・・・だ。

でもね、あのチリチリンは楽しい。今ならオラ、分がるもん!
来るか来ないか分からないお客さんなんて待ってられないんだよね、きっと。
釣れさえすれば、次の日にお店で出す食材にもなるし!

あ~、釣りしたいなあ(笑)。
最近は、雨ばっかりで詰まらないです。
[PR]
by bigbirdman | 2008-09-23 00:40 | 独り言 |
2008年 09月 22日 |
土曜日から母親が来て、のんびりお彼岸のお墓参りの準備をしている。
といっても、お彼岸の準備なんてたかが知れてるので、買い物行ったり飯食ったりしてよめさんと3人で水入らずで過ごしている。

お陰様で、春先痛んだ腰の具合も落ち着いており、コルセットはしているものの普通に車に乗り降り出来るし、椅子に座ってお食事なども問題ないくらいまで回復した。

でも、70歳過ぎてから、母もさすがに歳をとったなぁって、後から付いて歩いていると感じる。
背中がね、丸まってくるんですよね。口を開けば変わらずに、悪態ついたり、講釈たれたりと、昔と変わらぬうるさい母なんですけど(^^;。

母は、歳をとってから結婚したことと、経済的なことも気にしたので、僕一人しか産めなかったそう。でも、本当は娘が欲しかったとの話しを聞かされて、「あそう、男で悪かったね」なんて言ったものだけど、結婚してからあるときに、「(よめさんが)娘のように思えるから嬉しい」と話したことがあった。もちろん、母を喜ばせるために結婚したわけじゃないけれど、今回もよめさんと母が仲良く買い物なんかをしているのを横目で見るにつけ、それはそれで良かったと思う。

長い人生で、この人と結婚してよかったなって思うことの一つに、”自分の母親と仲良くしてくれるから”っていうのは、僕の中にはある。僕にとっては、それはただありがたいことであり、よめさんがいずれ母になって、そのとき僕たちに息子がいたとしたら、僕は息子にそういうことを話して聞かせるんじゃないかと思う。

e0029553_116388.jpg


毎年のお彼岸準備なんだけど、こうして3人でゲラゲラ笑いつつなんだかんだやっている。
自分ひとりじゃ、こんなに笑えない。
自分ひとりじゃ、周りの人も愛せない。
[PR]
2008年 09月 16日 |
木漏れ日が、少しだけ黄色がちなのは、葉っぱのせいなんだ。
”は~、夏が終わってしまった”感もひとしおではあるけれど、この夏から秋への移ろいの景色は何物にも代えがたくて、青空を見上げるたびに額が開くような心地がする。

e0029553_23291750.jpg


この連休も日帰りで温泉だった。
岩手山の麓にあるその温泉は、硫黄臭いけれどすごく温まる。
露天風呂もあって、そこでグッと加温したあとに湯船から出ると、タオルの腰巻一丁で、目の前に広がる小岩井牧場や盛岡の街並みを眺める。
高原の風が体の熱をほどよく冷まし、直射日光が眩しいから目を閉じて風を感じる。そして、山を。

やがて目を開けたとき、やっぱり眩しいんだけれど、牧草の緑やキラキラ光る遠い家屋の窓ガラスまでも、日本って本当に美しいって思って、涙が出そうになった(感激屋のフクロウです)。


e0029553_23423640.jpg

                                     遠くに八幡平のモッコ岳を望む




e0029553_23434468.jpg

                                     キミも日差しを受けて



e0029553_23451972.jpg


初夏の木漏れ日、初秋の木漏れ日。
緑の美しさに相違はない。写真を見ただけで、季節が分かるのかちょっと自信は無いけれど、秋の葉のほうが太陽のエネルギーを受け流しているような、どこか成熟したような趣きを感じる。

昼間なのに虫の声。そういえば、高原はいつもそうなんだっけ。
標高が高い分だけ、虫たちもきちんと時計の針を合わせて、地球の動きの何かと同期している。気温、湿度、照度。そんな人間が作り出した言葉の区分を初めから凌駕して、小さな生きものたちは、何かと何かの間に自分の生を流し込んでいる。

流れているようでも、振動しているようでもあるコオロギの鳴き声をじっと聞いていると、どこか遠くの波の音を聞いてるような気がした。
[PR]
by bigbirdman | 2008-09-16 23:58 |
2008年 09月 13日 |
e0029553_0132073.jpg


この1,2週間は雨が多かったので、海を見ても霧が掛かったようなパッとしない景色ばかりで、詰まらない思いをしていた。

台風がらみの雨雲が昼間、一瞬切れるときがある。
そんなときは決まって青空が顔を覗かせてくれるけれど、風が変に暖かくって、熱帯低気圧だなぁ・・・って、まぁ当たり前のことを思う。

昨日はお休みをもらって、夕方からよめさんと釣りに行った。
きちんと2匹釣れたけど、そのうち一匹はドンコの子供だった。
写真を撮り忘れたんだけど、ドンコの子供は頭が大きいのに体はまだ成長していないので、目玉ばっかり大きくって全体的に逆三角形のプロポーションだったのが面白かった。

もう一匹の魚(名前が分からん!)は、帰る頃には死んでしまっていたけれど、このドン子はバケツの中を元気にグルグルと回る回る。クリクリの目で、鰓(えら)の部分が手を開いているように見えて、何だか可愛らしくて結局逃がしちゃいました。上手に針が外れたので、たまたまこういうことをしたのです(実はポニョに見えてしまったのです・・・)。

やがて夜釣りに移行すると、よめさんは車の中で寝てしまったのでちょっとほっといて、僕は真っ暗な防波堤でキャンプ椅子にどっかり座り、遠くの漁火を見ながら竿に当たりがくるのを待っていた。
日中、北海道で大きな地震があって、津波警報が出ていたけれど、とっくに解除になった。
でも、ゴイサギやアオサギはいつもより騒がしいのは、地震のせいなのか?それともこれから季節移動するからなのかな・・・。



この日(11日)は、夕焼けが素晴らしかった。大きなキャンパスに赤い夕焼けだったから。

e0029553_0303127.jpg


e0029553_0305695.jpg


「あ!」
「あ~!」

ふと反対側の沖を見ると、虹が大きな弧を描いて出ていた。むしろ大きすぎて、最初は水平線から直角に延びているようにも見えた。
何か良いことあるかなぁ。

このあと、夜半から激しく雨が降り始めた。
山裾に沈んでゆく太陽が、一日の終わりにくれたプレゼントのような虹だった。
[PR]
2008年 09月 08日 |
メジロが山から下りてきたみたいですね。
ヒヨドリも巣立ったばかりの雛を連れて、生りかけた実を味見している。
秋の味わいを一足先に、と言ったところでしょう。

少しずつ夏鳥が去ってゆき、今月一杯はまだぐずぐずしている、オオヨシキリやコヨシキリたちのカシマシボイスもトーンダウンするから、海辺ではチドリたちやシギたちの少し寂しげな優しい声に包まれている。季節の変わり目には、こういうエアポケットのようでもあり、何かの余韻を引きずっているかのような時間がある。

鳴き声を真似て、キアシシギのように口笛を吹いたことがあった。
丸い柔らかな湾内の向こう岸から、返事の声がした。
もう一度真似てみたけど、今度は何も起こらなかった。

ぐるり見渡して直径2kmもあるのだろうか。このせまい湾内のどこかでキアシシギが飛んでいるか、または餌をついばんでいる。
鳥の鳴き声は、僕の思惑のベクトルには向かっていない。聞きたいと思ってこちらがココロを働かせても、大抵は無視される。自分の意の外で、ふと気がつくと聞こえているのが、鳥の声なんだ。




実はこの土曜日、僕が写真のことでいろいろお世話になっていた写真店のマスターが亡くなった。彼は一年半ほど前に発病し、そして土曜日に亡くなったけれど、病気になってからは一切人前には出ることが無かった。だから、亡くなったことを急に知らされて、僕や仲間たちは驚くとともに、言葉を失っていた。
理論家で芸術家肌で、優しい男性だった。

彼が病気になってから人前に出なくなった、その姿の隠し具合に、僕は何となく共感できる部分があった。また、そんな中、熱心に心配している仲間によっては、自宅までお見舞いに行っては彼と言葉を交わしたりもしたようだった。でも調子が良いんだか悪いんだか、結局分からないで帰ってきて、みんなにありのまま報告をなさっていた。
いろんな関係性の中で、グループや仲間というのは成り立っている。そして僕ごときがいうのはおこがましいけれど、彼は誇り高く、また意固地な面も併せ持った男だったので、自分の弱さを人に感じられることが嫌だったんだと思う。



僕はそんな彼のことを、僕なりに何となく理解できていた。
唯一コンタクトを取ったのが、今年の年賀状だったけど、そのときは”またいつか皆の前に出てきてくれるのを待っています”とだけ書いたような気がする。

このブログで何度か登場している、温泉仲間の先輩も共通の仲間なので、先輩が携帯電話のメールなどで比較的やり取りをしていたことから、先輩を通じて、それ以降、彼の今の体調を会話の端々から伺えてはいた。でも所詮メールのやり取りからこぼれたことなので、そんなに体調が悪化していたとは気付く余地も無く、結果的には、プツッと連絡の糸が切れたまま亡くなってしまったようなものだった。

急なだけに、どうしてもあっけない印象を拭えないけれど、こんな小さな田舎町には勿体無いほどの品の良いセンスで、自分の活躍のみならず他のアマチュア写真愛好家たちの目を開かせ、導いてくれた方だった。

でも重い病気になってしまってからの彼の心根が、どこか鳥と僕との関係からも紡ぎだせるようだったから、人前に出ることなく姿を消したことの理由も僕なりに分かったし、本当におかしな言い方だけど、立派だと思った。そして何よりも、昨日お通夜に行ったとき、奥さんが気丈にしてくださっていたことが、この夫にしてこの妻ありだと思った。
当たり前だけど、みんなずっと仲間だし。

鳥の鳴き声が人の思惑に応じることが無いように、彼は人前から遠ざかり、やがてしばらく忘れていた不意を突いて、その鳥の鳴き声が帰ってきたみたいだった。
・・・それも自分の命を生きることだったんだと思う。


彼の写真は、海辺の生活の間にある、夜明けの紫の水平線をテーマにした。
本当に美しい写真だと、いつも思った。年に一度の新作品が楽しみだった。
遊びに行くと、いつも小さな写真店の奥からインスタントコーヒーを出して飲ませ、若者を焚きつけるような檄を飛ばしたり、皮肉たっぷりシニカルにこの町の悪口を言い放った、最高の写真の師匠だった。

e0029553_23251936.jpg

                       頂いた作品集から一枚だけ。こういう写真を撮る方でした。


僕にとっては、オレンジ色の夕焼けの思い出が詰まった、口笛とキアシシギというテーマ。
口笛で真似ようとして、思い切り口をすぼめてようやく出せるあの鳥の悲しげな高音域には、どうしても少し寂しい思い出が詰まってきてしまうようです。
[PR]
2008年 09月 08日 |
この土日は、久しぶりのキャンプだった。
あいにく天候はいまいちだったけど、先々月のよめさんのイベント関係で、20人以上ものみんなが集まって、僕が今まで経験したことも無い大キャンプになった。

よめさんがサンマや実家からカキなどを仕入れてくれば、他の地区の仲間はホヤ・ホタテ・エビやらを手配して、炭焼きの炭も地元産を使うなどの気合の入れよう。
いやいや、凄かったです(そしてフクロウは今宵、炎の番人と化した)。

e0029553_1185073.jpg

                                     (壮観なるサンマ様)

e0029553_1191592.jpg

                                     イカはづけにして火であぶる

e0029553_1195779.jpg

                                     どうだい!



腹いっぱい食って、みんなで話し合いをしたり、大変有意義な非日常でした。

おかげで、今日は二日酔い。
元気なみんなはグループに分かれて、それぞれ海を満喫した。
そしてなんと、よめさんがサーフィンデビュー。インストラクターがついて、一生懸命頑張っていました。本当にやるとは思っていませんでしたが、防波堤から見ていると(オレは釣りしてましたから)、最後の方はちゃんと板の上に立てるようになって、なかなかのものだと思いました。
みんなでやると上達が早いのか、インストラクターが上手なのか。

e0029553_1293880.jpg


海って、いろんな遊びがあるんですよね。
いろんな楽しみ方があって、達人がいたりして。
でっかくて自由で、いいなぁ。そんなことを感じました。


でもね。。
この海も、放射能汚染の危険性にさらされている。
未来が明るさに抜けない。だから、このままではいけない。
[PR]
2008年 09月 04日 |
今日の仕事はPC支援システム業者の都合で、予定していた作業が全て滞ってしまい、別部署のお手伝いなどをして、何だかよく分からない一日だった。
たまにはこういう日もあるさと、隣の庭ならぬ隣の部署の人間関係などを探りながら、基本的にはバカ話しつつワイワイやっていた。

午後3時過ぎになり、そんな喧騒も落ち着いた頃、空を見上げるとうす雲の奥のほうで、夕焼け小焼けがきれいだった。

e0029553_2333773.jpg


学生の頃、畑仲間たちと晩メシパーティーのようなことを、よくしていた。ちいさなアパートの台所と、縁側からコンクリの叩きに七輪を出してサンマを焼く。僕はしょっちゅうサンマ係だったから、日没前の夕焼け空を見ながら、焼酎片手に団扇でパタパタと七輪を煽っていたんだ。
今日の夕焼けは、そのときに見ていた夕焼けと何だか似ているような気がした。

昨日の晩は何だかムシムシしてなかなか寝付けなかったので、朝になっても半分寝ているような状態だった。日中の仕事は、人と関わることで気持ちがシャキッとなる。でも、3時頃になってくると、そろそろテンションダウンしてくるので、ふとした拍子に、いろんなことを思い出すときがある。・・・今日はたまたま、そんな昔の学生時代のことだっただけです。

夕焼けでも何でも、繰り返される季節の営みに、その時々の僕個人の記憶が重ね塗りされている。これから先の時間の中でも、いろんな記憶が積み重ねられる。

焦って生きるこたぁなく、おとなしくなることもなく。
普通に生活している毎日に、いろんなギフトが詰まっている。
[PR]
2008年 09月 03日 |
花が咲くこと、鳥のさえずりや虫の音、生きてゆくための営みは、目や耳に心地よい。
そよぐ風と穏やかな波打ち際、空にぽっかり浮かぶ雲、ゆっくりとリズムを刻むものも心地よい。
みんな毎日パタパタ進んでゆくので、休みのときにそういう環境のそばに居られることは、実は贅沢なことだと思う。

何か最近どこかのサイトで、ミサイルを使って天気を変える技術が有るということを知った。
(ソースは一杯あるので” ミサイル 天気を変える ”などでググッてみてください)←今は中国のオリンピックネタばっかりです。

驚くのと同時に、何とも気味の悪い、嫌~な感じがした。
使い方によっては良い技術だろうけど、どうしても消極的な感情が先に立つ。

人の力でどうにもならないこと→天気

みんなが信じている観念を克服してゆくために努力することは、現実的な使い方によっては善悪いろいろあるんだろうけど、そこまでする必要があるものなのか、突き詰めて空しさを抱く。
結局、根本的な問題より、マネーが動く枝葉部分の問題解決に、技術というものは進んでゆくんだよなぁ・・・って。

まぁいいや。バカにしつつ、あんまり考ないで置きます(^^;。



スライドショー更新しました。(でも2、3ヶ月に一度くらいしか更新してません)
まだ今シーズンはフィールドへ通っていないので、撮影年と季節がバラバラです。
マイフィールドはこれから、ユウガギクやセイタカアワダチソウがきれいなんです。

「これから○○の花が良い季節ですねー、フフ」
なんてステキな会話が出来なくなるような、季節感のない世の中にはなってほしくありません。。

(備忘メモ)
幸福感の感受力   自分が満足して生活するとは   ”本当に必要”の基準 
資本主義と社会主義   人のエゴ   孤独 
[PR]
by bigbirdman | 2008-09-03 23:53 | 独り言 |