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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
一つのこと。
2006年 03月 09日 |
浮ついた気持ちでいると、仕事でも何でも砂がこぼれるように、少しずつ確実に漏れていくものがある。それは、集中力だったり注意力だったりする。周りが与えてくれている愛情に素直に気付かないこともある。
自分の意識している(と思っている)範囲は、思ったよりも狭いので、普段の生活の中にも小さい感情のストレスが蓄積してくる。そういうのがやがておっきくなって、体調がおかしくなってくる。

昔、何度か自分の変革の時期が訪れた時、僕はほぼ全てにおいて自分を突き抜ける(ブレイクスルー)道を選ばずにここまで生きてきた。言い換えれば、安全な道を選んで生きてきた。
そのときどきには、そうしなければならない理由が確かにあったんだけれど、今思えば、自分を変える勇気が無かった。今もそう。

僕が良く思うことがらで、「何かをする理由は一つ。しない理由はたくさんある。」ということがある。これは、本当は自分が常に「しない側」に立って生きてきたことへの後悔と反省の意味をこめてある。一つのことを見つめつづけながら生きていくには、僕にとってはある強さが必要になる。自信、勇気、経済力の不安を跳ね返す精神的な豊かさ、価値観。
自分が、「他でもない自分自身」であるために、人はみんな何かを持っている。
でも、精神的・家計的にそれに携わって、それを見つめつづけ、そして人と関わって生きていくことは、どうしても僕には難しいことだった。これからどうなるかも分からない。

一つの理由、好きだから。
好きなことで生きていく。
好きなことから派生する人間関係、縁。
これを大切に育てて人生を送る。

現実にはそれが難しいから、僕は理想的な生き方をしている自分を空想する。
僕の精神的な満足は、現実的な場所から一つクッションを置いて満たされているときがある。
もしかしたら、多くの方たちもそうなのかもしれない。
もしかしたら、当たり前のことを言っているのかもしれない(^^;。
そうだったら、なんだか嬉しい気もします。

空想の世界から、僕は自分自身を見つめている。

でも今の自分って、間違いなく幸せだ。
それは、突き詰めれば、自分の周りの人々が間違いなくリアルな存在だから。
空想の世界から自分を見つめることは、現実の、言うなれば、満たされない環境のなかで、自分のココロを折衷させるちょっと後ろ向きとも取れる感覚だけど、自分にとって今がどういう環境条件なのかに関わらず、自分がそうありたいココロの持ち方とか、人との接し方は変わらない。そのことを忘れないようにするためなので、僕にとっては、一種の処世術なのかもしれない。

自分が知覚できる範囲は狭いんだけど、自分の周りの間違いなく愛情や信頼を送ってくれる人たちからのシグナルを忘れないかぎりは、そんな自分でも元気にやっていけると思っている。
by bigbirdman | 2006-03-09 01:28 | 独り言 |