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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
古ぼけた煙な思い出
2006年 03月 30日 |
朝、出勤する途上にサンマの味りん干しを作っている小さな工場(こうば)がある。
漁村のお母さん達がパートで働いている工場だ。
中で人が暖をとるために、使用済みの木箱を燃料にして薪ストーブを燃やしている。
道路側に突き出したブリキの華奢な煙突から、毎朝スーっと煙が棚引いている。
煙いことは煙いんだけれど、その匂いが何だか懐かしい。
古ぼけた煙な思い出_e0029553_10365122.jpg

僕が小学生の頃、東京にいたとき、親子で旋盤工をやっていた隣の家では、夕御飯をカマドで炊いていた。小さい庭の隅っこの方、そこの家のお母さんがしゃがんで小さくなって、団扇でパタパタやっているのを、僕はよくアパートの2階窓から眺めていた。
カマドって書いたけど、実際は一斗缶の蓋と底を切り取って脇に空気穴を穿っただけの簡単なものだった。それに古新聞を小さくギュッとひねったのを燃料として火にくべて、ご飯を炊いていた。
当時はガキのことだから、「何だか変わった事しているね」と思っていただけでそれ以上、何も考えたりはしなかった。でも今思えば、戦前から東京に住んでいた人たちって、清貧っていうか、結構慎ましやかな暮らしをしていたように記憶している。
そういうのが当たり前だったのかもしれない。
今じゃシンプルライフなんて表現する暮らしも、(あのカマドがシンプルライフかどうかは不明だけど)みんながそうやってりゃこんな言葉は出てこない、当たり前だけど。。

家電製品が普及してヒト段落した頃。昭和50年代だったけど、僕の育った町はどことなく古ぼけていた。多分今でもそうだと思うけど、ほとんどの生活圏としての東京には、変に作られていないっていう意味で、町に顔が無かった。あんまりプライバシーとかで騒ぐ人もいなかったから垣根も低くて、素朴で淡々としたみんなの生活の集合体が、結果的な町の個性だった。
・・・こういうのは個性って言わないのかな(^^;。
分かりやすくて古臭い、ごく当たり前の東京。僕が好きな東京。

話は戻って、今住んでいるこの町で、岸壁沿いに点在している何軒かのこういった小さい工場は、その東京の独特の臭気のあるような何だか古ぼけた懐かしい記憶と重なる。煙の匂いがおんなじだ。そしてこの町も、ちょっとずつ古くなって、ちょっとずつ新しくなっていく。

町と人って、よく似ている。
今の自分と過去の自分。煙で繋がるしょぼい記憶。
錆びれポンコツ愛好家としては、書かなくてはいられないのでした。
by bigbirdman | 2006-03-30 08:34 | 独り言 |