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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
梅雨に思う
2006年 07月 08日 |
梅雨は、いつもあっちこっちうろうろしていた思い出が多い。
いきなり変な書き出しだけど(^^;。
梅雨に思う_e0029553_0111246.jpg

梅雨になると、気持ちが落ち着かなくなる。
クマゲラの繁殖時期と重なるから、鳥の観察であちこち行ってるせいもあるけど、それともちょっと違う形で落ち着かなくなるんだ。

それは、岩手の夏が短いからかもしれない。
あとは、梅雨の時期になるとすげー寒くなるからかもしれない。
でも、一番の理由はそうじゃないんだ。


昔お付き合いしていたある女性がいて、ある年の冬にその人は重い病気になった。
その人は、その冬が来る前の梅雨の時期に、僕と散歩していて、突然「足が痛い・・」って、泣き出した。僕は大したことないって、ほとんど相手にしないで急かして歩かせた。

でも、結局、足が痛いからってことで、散歩を中止して、その日はそれで終わった。

そして、その翌年の冬にその人は大きな病気になったんだ。

虫の知らせじゃないけど、一年のうちどこかの季節で、人間はその先1年くらいの体の変調を予感する。そういう生き物だと思う。正確には、その出来事があったからそう思うようになった。

その後、その人はがんばって回復した。
そして、僕とはさよならした。

その人から、今年の3月に久しぶりに電話が来た。
(回復してから)5年経ったよって、報告の電話だった。
5年過ぎればひとまず安心な病気だから、ホッとした。

「オレ、結婚したぞ~!」
「聞いたから知ってる。あたしも(別の人と)お付き合いしてる!」

みんな色々あって、大人になるんだ(当たり前だけど)。

よめさんにも、この人のことは話してあるので、電話を切った後色々話をした。

ひとつの出来事の区切りを必要としていたのは、僕だけではなかったみたい。
もうこれで電話は来ないのかなって思ってる。。

つまり僕が毎年梅雨に落ち着かなくなっていたのは、そういうことだった。
もしまた、足が痛くなってたらどうしよう。もしそのときは、そのサインを今度は見落とすことなく、先制パンチで治療をしているはずだ。
こういうことが心配になって、ふとした拍子に思い出していた。

個人の祈りが、どういう形かで相手に届くことがあるのかもしれない。
無いのかもしれない。

ただ、それぞれの人の意識の中、自分の病気が治るときは、それは紛れもなく自分ががんばった結果、病気がよくなるんだと思う。でも、僕が他人を思うとき、何を言ったとしても、結局は祈ったり願うことしかできない。別れていれば、なおさらそうだ。

意味があるのか分からないからやらないとか、別れたから、結婚したからって、出来事を封印するような人生って、ケースバイケースだとは思うけど、このことに関しては自分らしくない(ちょっと歯切れが悪いな)。

出会って起こった関係性の中から、また違う自分が出てくるし、その繰り返しが今の自分だから。(こんなことを書いちゃうのも、まぁ自分らしいかと言うことで。。)

人間同士って、とてもメンタルな繋がりだ。
僕が過去に置いてきた想念は、僕の中で過去なだけであって、それは独自に発展を遂げる。自分が知覚できない範疇で起こっていることに対しては、ただ思うことしかできない。

多分怖かった。
逃げた。(そう認められるまで何年かかかった)
そんな自分を見つめたかった。でも無意識で嫌った。
弱い自分が、できる限り、おっきな意味で、人を好きになれますよう。
ここを始点にはじめたかった。

罪悪感。
純粋性。
自意識。

その電話一本に、僕にとってはいろんな意味があった。

かと言って、実際あの電話にどういう意味が込められていたのかなんて知りようがないんだけど。・・・僕にとっては許しを与えられた。われながら勝手な解釈だけど。情けな男はそのまんまだけど。

何かひとつの出来事で、自分のもやもやがすっかり晴れるようなことなんて滅多にない。
・・・ただ単純に、、今年はいつもより晴れやかな梅雨だ。

・・・自然に自分が変わってゆけばいいや(^^;。
by bigbirdman | 2006-07-08 23:17 | 独り言 |