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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
庭の彩り
2007年 05月 23日 |
庭の彩り_e0029553_2143454.jpg


庭のツツジがピークを過ぎて、そろそろ下降線。
今年も大変綺麗に咲いてくれました。ありがとう。

ツツジの花って、枯れたあと、地面にこぼれ落ちずにそのままペタっと葉っぱにへばりついて茶色くなる。それを手で取りのぞいて地面に捨てる。花が終わった後、葉っぱが健やかに伸びるように。

ちっちゃな庭だけど、今年も4月から2ヶ月間、いろんな花が咲いた。
この時期にしか咲かない花、これからも何回か花期を迎える花。
じっと冬を過ごした種が、毎年きちんと育って花を咲かせる。




今年の春も、いつかは思い出になる。積み重なってゆく経験や思い出が、毎年見るものに新しい意味を与えて、”生きていく”ということがどういうことなのか、ちょっとずつ分かってくる。

例えば、家族関係は愛情の綱引きにも似ている。
お互いがもたれ掛かるように依存して安定したり、反対に引っ張り合うことで、疎外感からココロが苦しくなったりする。個としての自分が、あるときは家族が一つの単位であることを望んでみても、また別のときは一人ぼっちで安定することを望むので、それはまるで呼吸のように、伸びたり縮んだり、受け入れたり排除したりしながら、自分の時間を渡ってゆく。

ココロが弱って、自分が一人では傾いてゆきそうなときは、何かにもたれ掛かれば良い。
それは、家族であったり、一本の木であったり、海や空であれば良い。
もたれ掛かって安定したとき、自分が立っているその場所が広ければ広いほど、多分自分は優しくて強くなれる。そして、いろんな場所でもたれ掛かった経験がある人は、たくさんの引き出しを一つのココロに蔵している。
そして、その引き出しから発せられる多彩な言葉や想いによって、後から来る者たちは自分の立ち位置を見つけ、もたれ掛かる何かを探し出す。

繰り返される春先の花々が、毎年少しずつ自分にとって新しい価値と意味を加えてゆくから、毎年少しずつだけど、僕も海や山にもたれ掛かってゆく。
自然と調和することなんて、ほかでもない、ただ自然にもたれ掛かって自分が勝手に安定すること。毎年繰り返す自然の移り変わりに、弱い自分が寄り添うことで、自分が安心して毎日を過ごせるようになることだ。


庭の彩り_e0029553_2214879.jpg


自分が生きていることが、毎年ちょっとずつ広がってくるから、空や山にもたれ掛かって、季節の彩りに自分の時間を重ね合わせる。

身の回りに起こった良いことも悪いことも、多分、自然の中には最初から存在している。

だから自然にもたれ掛かって、自分の身に起こる移り変わりを、空と分け合おう。

海と分け合おう。

森と分け合おう。
by bigbirdman | 2007-05-23 21:57 | 生活の中で |