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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
3、人も色々
2007年 12月 09日 |
散歩の途中で、携帯に電話が入った。
仕事の呼び出しかなと、密かに眉をひそめた。

仕事の呼び出しじゃなかったんだけど、母から電話が来て、母の友達が亡くなったとの連絡だった。一人で自室の布団の中で亡くなっていたらしい。

うちの母は保険の外交員をしていた。
保険の外交員って、会社にもよると思うけど、職員同士の絆が深い。
亡くなったSさんも、おかんとずーっと親しかった人で、僕のことも僕が物心つく前から知ってくれていた人だった。

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Sさんは、若い頃はスポーツ選手(スキー国体)で、女性とはいえスポーツ全般に造詣が深くて、独特のものの考え方をしていた。仕事の忙しい夫と二人暮しで子供も居なかったので、よくうちで一緒に晩御飯を食べたりして、家族同然のお付き合いをしていた。
僕が中学生の頃は、プロ野球を一緒に見ながら熱い議論を戦わせて、遊んでもらった。高校ぐらいのときは、いつも僕の我侭を肯定的に聞いてくれた。(結果、母とのバランスをとってくれたんですね)
いつもガハガハ豪快に笑う、男っぽいおばちゃんだった。僕の母より4、5歳年長だったため、先に退職を迎えて、退職後は故郷に戻って、悠々自適な生活をしていた。そのころには旦那さんが亡くなっていたため、一人暮らしだった。


電話を受けて、僕も絶句した。
「・・・なんで?」

母は、Sさんが一人で寂しく死んだのが可哀相だと、嗚咽交じりに語っていた。
釣られて僕も、Sさんのことを思い出して、涙が出てきた。

「お前のことを自分の子供だと思っていた人だから、一応連絡しなくちゃと思って電話したよ」

母がそういうと、僕はもっと切なくなってきた。

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でもね、僕は、母が泣いていることが、一番可哀相だった。
Sさんのことも悲しいけれど、多分後からもっと悲しくなってくるんだろうけれど、今は何よりも、母を励ましたかった。

「そっか~、Sさん。一人で亡くなって、火事とか大丈夫だったのかなぁ・・・」
話題を逸らすわけじゃないけど、仕事柄、単身高齢者が小火を起こしてしまうことがあったため、トンチンカンな話題がふと口に出てしまった。

「え?そういうのは大丈夫だと思うけどぉ!・・・連絡だけしようと思ったから、んじゃまたあとから。ガチャ」

と、なりました。

励まそうと思ったから、母の悲しみに同調して一緒に悲嘆にくれるのを瞬間的に避けてしまいました。母も一緒に悲しみつつあった息子が変なことを話したので、ふと我に返って電話を切ったんだと思いました。こういうとき、普通の親子ならどうするんでしょうね。家らしいといえば家らしいのですが・・・。今思い出して、悲しい中にも苦笑いが出てしまいます。


我が家ではちょっと最近、近所の方も亡くなったり、今回一つの時代を一緒に稼いできた親友が亡くなってしまったりと、悲しいことが続きました。
そういう時期なんだなって、思うしかない状況だとは思うのですが、こういうとき、息子っちゅうのは役に立たないのかも知れませんね。

息子は、母を励ますことを優先してしまう。一緒に悲しむことは出来ないようです。
例えばそれが、「冷たい奴に育ててしまったのではないか」との危惧を母に抱かせてしまったとしても、息子も後から第2の母親を亡くした悲しみに浸ることとは思うけれど、今はおかんが元気になってくれることに、集中してしまうのです。

夕方、母に電話したときは、僕との電話の後で、外交員時代の他の仲間達に電話をかけまくって、「みんなと泣きながら話をしたよ」と落ち着いていました。
「昼間はごめんや」と言われたので、「姉貴分が死んだんだから、全然おかしなことじゃないじゃん」って言って笑いました。

笑った拍子に、二人ともまた、一瞬涙が出そうになったんだけど、今度は我慢して電話を切りました(^^;。母一人子一人で育ちましたが、何か不器用な親子ですね。

人も色々、親子も色々、それだけ悲しみ方も色々なんで、きっと。

前向き上向きじゃないと生きて行けませーん、ね。
by bigbirdman | 2007-12-09 00:30 | 生活の中で |