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フクロウくんのポンコツ的生活
musisasare.exblog.jp
2009年 04月 20日 |
発泡してれば良いんだもん。。_e0029553_2326095.jpg


何とか3兄弟(ホントはもっと並んでるんだけど)みたいに、スイセンが並んでいる。
花に屈託があってたまるかというもっともなツッコミはさて置き、屈託の無い花を見ていると、安らぐ。

安らぐという単語を使うと、まるで自分の日常がその正反対であるような錯覚を与えてしまうけれど、フクロウめの日常がバタバタしている訳ではないです。いつもどおりに元気にやっております。
最近は、酒があまり飲めなくなってきて、350缶のビールを2本も飲むとまぶたが重くなってきてしまいます。

ビールといえば、先日は職場の飲み会で別の部署の女の人が飛び入りでやってきて話をしていたんだけど、フクロウが最近では安い発泡酒に走っている話題になったら、

「げ~、どんな男でも、アタシは発泡酒を飲む男はダメだ!!」

と、無碍にも人間性の全てを否定されてしまったかのようなリアクションをとられて、瞬間的にムカっと来たことがありました。別にその人からダメだと思われたこと自体は一向に構わないが、まぁ何か思うところがあってそういうことを言うんだろうから、(そうか、発泡酒ってあんまり良くないのか・・・)と最近は気にしているのです。
男は貧しくても、ビールを飲まなくてはいけないみたいです・・・。今は黒糖焼酎飲んでます。

暖かくなってきて、日中はコカコーラの黒いヤツをたまに飲む。シュワッとするのが休憩には心地よいんですよね。砂糖不使用だし。

休憩またはリラックス = 発泡する飲み物

という方程式は、しっかり身体に染み付いている。
そのベクトルからは逸れていないので、個人的には発泡酒の何が悪いんだよ!・・・と、こないだの飲み会では突っ込みたかった。
# by bigbirdman | 2009-04-20 23:47 | 生活の中で |
2009年 04月 16日 |
完全に春へと移行した。
やぶのヤマブキは、小さな点の蕾から、ほんの半日で花びらが展開する様を見るにつけ、この暖かい空気というものには、何か特別な力があるんだろうなぁ・・・なんて思った。

感覚的な、開花と恋の相関について_e0029553_22444519.jpg


サクラは一瞬でその花を散らす。まだ花びらは付いているものの、この1週間で旬は過ぎた。
下のほうの枝から緑の若葉がヒョイヒョイと顔を覗かせているのは、不恰好と言うか、どこかひょうきんにも映る。この一瞬のために、桜並木が町中あちこちに立ち並んでいることは、ある面で刹那的であり、一方では、循環する思想にも通じるような気もする。

思えば、自然を見ると言うことは、上手に恋をする訓練をしているような気持ちなのかも知れない。
それは、自然を見るような気持ちで、人と接することが出来るようになりたい・・・という意味です。

妻帯者があまり使う表現ではないのかも知れないけれど、いろいろな人と関わって生活をしている中で、自分なりに相手を思いやることによって、恋をするような気持ちで人と接することがある。
だけど本当は、自ずと然るべき相手(独立した存在としての相手)に向かって、自分が本当に向けたい眼差しというのは、もちろん恋をする気持ちではなくて(恋でも良いけど!)、季節の草花を見るときのような眼差しなんだと思う。

うまく表現できないけれど、ヤマブキの春の一日を見つめた驚きや、サクラの花に循環する時間の流れを感じるように、僕は人を見ていたいのだろう。そしてそれは、恋をしていることとそれ程違わないような気もする。違うような感じがあるけど、何となくそれ程違わないような気がする。

草木を見ながら、恋の訓練をしているなんて、実際、キザで奇抜な言い回しとも映るけれど、要するに穏やかに裏山の季節の移り変わりを眺めるにつけ、こんな気持ちで多くの人と付き合っていけたら幸せなんだろうなと思ったのです。そして、そういうのが恋だったら、たくさんの人と恋が出来るから楽しいなぁと思ったわけです。

今日のフクロウは春のせいで頭がおかしいようです。
あしからず。
# by bigbirdman | 2009-04-16 23:33 | 独り言 |
2009年 04月 10日 |
帰途に思う_e0029553_1925754.jpg


日中の気温が15℃を軽く越えて、ようやく大気からエネルギーをもらっているような気分になってくる。せいぜい1、2日程度の海岸性の局地循環だと思うけど、今年初めて感じる軽い熱風は、顔にあたって心地いい。
夕方の帰り道、毎年ちょっとの驚きと共に眺めるモクレンがあって、そのモクレンは、もう10年以上は人が住んでいない朽ち果てた家屋の端っこの方に、控えめに生えている。

”あ、そうだった。こんなボロ家なのに花は奇麗に咲くのね。。”

ちょっとの驚きとは、このこと。
今年も良いモクレンが見れました。
レンギョウ、スイセンも庭に咲いている。
ツバキが終わって、小ぶりだけどボケの花が、似たような色を楽しませてくれる。


暖かい風の中で平坦な道を歩いていると、今がすごく心地良いから、ほかの事はなーんも考えたくない。
心臓の鼓動が速くなってしまうと、まったりモードが快活モードに切り替わってしまいそうだったから、今日はゆっくりゆっくり歩いてみた。

海岸沿いに歩いて行くと、日が昇る東側の水平線の上の方、層雲がピンク色に染まっていた。
西の空では、日が沈んでしまったのに、太陽ははるか上空にまだ光を放射している。
その余韻が美しい。

生きていくことに、誰からの言葉も必要としない人がいる。
そして、身体で感じるだけで言葉を必要としない人は、美しいと思う。

僕には言葉が必要だけど、ただ歩いて景色を見ているだけで、理由も無く満たされた気持ちになって、ほんの少しだけそういう人の気持ちが分かるような気がした。

帰途に思う_e0029553_19281537.jpg

# by bigbirdman | 2009-04-10 19:12 | 生活の中で |
2009年 04月 06日 |
Blue sky_e0029553_22172320.jpg


ようやっと暖かくなってきました。
庭の梅の花も散ってしまい、これからクロッカスやら、似たような変な小さいのやらの蕾が膨らんできています。でも、クロッカスの蕾はよく歩くところに生えてきたので、踏み潰してしまいましたが、まあご愛嬌。

みなさんそうだったと思うけど、あの国のせいで、何とも嫌な週末を過ごす羽目になり、うんざりして何もする気がしませんでした。日本は、一国で対処して孤立してしまわないように注意しなくてはいけないとも思う。
・・・なんて、いきなり政治評論家フクロウになっておりますが(^^;。

ここ数日は、春麗らかな日の小鳥たちのさえずりにも、暗い想念で蓋がされてしまったような出来事の前で、明るい自分が出せないでいた。人を騙して自分のことだけを考えていたり、変にずる賢く振舞ってみたりしても、結局は自分で自分を苦しめる。誰でも経験が有る、つい最近も自分自身がしでかしてしまったような、そんな原則のことをぼんやり思い出していた。

許すために、必要な議論がある。でも、人に何かを気付かせるっちゅうのは、善悪の押し付けに繋がるので難しい。そして、どこかの人が幸せであるための定義を、他人が慮ることもまた難しい。

多種多様な見方が一つのコミュニティで共に存在し、驚きやときには明るい憤りなんかを感じながらも成り立っている世の中が好きだ。明るいってことがミソなのね。

強い力で押し出すエネルギーには、反対方向に同じ量のエネルギーが必要とされる。
行過ぎた暴力は、やがて自分に立ち返ってくる。
よこしまな想念は、いずれ空に還すしかないもの。

自分を省みるにつけ思うんだけど、どうして一番簡単なことって困難が伴うんだろう。
自分がされると嫌なことに限って、人に対してやってしまうんだろう。

国家間の出来事も隣人同士の出来事も、僕やあなたでくくってしまえば根っこが同じ問題だから、いつもマイフィールドが教えてくれるように、今を大事に前向きに行きたいと、ブルーな気持ちはあるけれど、結局は強く思った。

・・・だって、みんな淡々と、逞しく生活してるんだもん(笑)。
# by bigbirdman | 2009-04-06 22:30 | 独り言 |
2009年 04月 01日 |
遠くへ_e0029553_22282712.jpg


良い形の半島がコブのように突き出ていて、何気なしに写真を撮っていると、スーっとフェリーが通過した。
何年か前、小さなサッパ船で航路よりも沖まで遠く外洋に出たことがあったので、航路までの距離感は何となく経験しているつもりだったけれど、わずか400ミリの望遠レンズ越しに見えたフェリーは、まるですぐそこを通過しているくらい大きく見えた。

ファインダー越しのフェリーが、海の青さとあいまってどこか懐かしいようで、一瞬だけだけど、今の自分が余生を過ごしているような、あるいは不完全燃焼人生を過ごしているような、「チャー、おりゃぁダメだ~」っていうような自意識に囚われたんだ(^^;。

遠くへ行くということ。
20代の頃とは変わってしまったので、あんまり遠出をすることが好きでなくなってしまい、フェリーも自分で乗ったのは片手で数えるほどしかない。
でも、フェリーに乗るとき、または出航したての時に感じる、あの何とも不安な感覚はよく覚えている。

あのときはまだ何もしていない、どうにもなっていない時期だったから(笑)、どこか穴にでも入ってしまいたいような閉塞感を感じることも無かった。船室の雑魚寝部屋で花札を始めているおっさんたちから、島焼酎を一本貰って嬉しがっていたこともあったっけ。不安の質が、今ともまた違ったものだったんですね。

何となく生活が苦しい。多分誰でもそうであるように、自分に蓋をしてきた部分が、少しずつ何かになりたがっていたり、何かをしたがっている。きちんとそういう自分に向かって行動してきた方と、無性に話がしたくなる。

どこか遠くへ行きたい自分も、一年のサイクルの中では顔を出す。

それも春なのかもしれない。
# by bigbirdman | 2009-04-01 22:52 | 独り言 |